危険な輸血勧める現地医師に、医務官は…

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その7

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。 

元外務省医務官の仲本光一先生との対談記事の3回目です(全4回)。
今回は、海外で遭遇する感染症とその対応方法についてお話をしてもらいました。
当然日本で診療したことがない病気に遭遇することは珍しくないので、いかにそれに対して準備をしておくか?というお話です。

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キューバの病院を訪問する仲本先生(右から4番目)(画像:筆者提供)
 グローバル化が進む昨今、医師にとっても「海外」が身近な話題となっています。日本人の約100人に1人が海外で暮らす現代、先生方ご自身が国外で活躍したり、自分が診ている患者さんが外国に移住したりすることをサポートしなければならないことも十分あり得るのです。

 さらに新型コロナウイルス感染症が世界中で流行し、在留邦人に対する健康面・医療面のサポートのニーズが高まっています。いまや、医師という職業を続けていく上で、海外の事情に無関心では成り立たない部分があると言っても過言ではないでしょう。

 本連載では、ベトナムで総合診療医とヘルスケアビジネスのアドバイザーという二つの顔を持つ中島敏彦先生がご登場。先生と関わりのある医師、看護師、ビジネスマン――国際的に健康・医療分野で活躍する方々を招き、グローバル社会の中で医師に何が求められているか、探っていきます。

前回前々回に続き元外務省医務官の仲本光一先生がご登場。日本では見慣れない感染症に関して現地で経験なさったことや、そこで得た「医師にとって必要な力」について語っていただきます。

日本では珍しい感染症 現地でどう対応?

中島 海外ならではの在留邦人支援の1つに「感染症対策」があると思います。

仲本 外務省医務官として最初に赴任したミャンマーは、熱帯感染症の多い地域でした。それについて教えてくれる日本人医師は現地にいませんでしたから、現地の大学へ週に一回通って勉強させてもらいました。現地の医師は熱帯感染症のことをよく知っていましたから、彼らにマラリアのスライドの作り方や肝炎などについて、いろいろと教わりました。

 若い先生方は信じられないかもしれませんが、私が医務官になった約30年前はネットがない時代でしたから、日本への連絡手段は国際電話のみでした。日本に電話をかけると、つながるまでに5、6時間かかることもあったんです。なので、日本の先輩に連絡を取るのではなく、現地で何とかするしかありませんでした。

 次に赴任したインドネシアでは、デング熱という熱帯感染症がとても流行っていました。現地に日本人向けのクリニックがあったのですが、デング熱で血小板の数が下がってくると、すぐに輸血をしたがるんです。

 重症の場合、数値が1万くらいまで下がることもあるのですが、比較的すぐに回復するものなので、輸血の必要はほとんどないと私たちは思っていました。しかし、現地では輸血が当たり前。でも輸血用の血液は、日本のようにきちんとスクリーニングされていないので危険です。

 そのため日本人がデング熱にかかったときには、現地の医師と話をして、輸血をされそうになったらシンガポールに移送するといった手続きをとっていました。

中島 感染症の知識がなくても、現地では患者さんを診るしかないですよね。現地のことは、やはり現地の医師が一番よく知っているので、ベトナムにいる私の場合、デング熱のことはベトナム人に聞くのが一番早いです。

 仲本先生の時代とは違って、今はたいていのことをインターネットですぐに調べられます。過去に私は仲本先生へフェイスブックのメッセンジャーで直接問い合わせて、5分もしないうちに返信をいただいたこともあります。そういう意味ではとても恵まれた環境にいると思いますね。

仲本 デング熱のエピソードとしては、タンザニアにいた時に娘がかかりました。中学生か高校生の頃で、外でも活発に運動をしていましたから、いつかはそうなるかもしれないとは思っていたんです。3日ほど熱が下がらず、自宅で点滴をしましたが良くならないので、外国人が使っている病院に入院をさせました。すると、そこの医師が「マラリアですね」と言ったんです。

 「それならスライドを見せてください」とお願いしたところ、30分後にやっと見せてくれたのですが、私にはそのスライドのなかにマラリアがいるようには見えなかったんです。それで、「念のためにデング熱の抗体も調べていただけますか」とお願いして調べてもらうとデング熱だと判明し、その後治療の甲斐あって元気に退院しました。

 驚くことに、そのときのサマリーには「マラリア、デング熱、腸チフス」と書いてあったんです。入院中に使用した薬剤に対応した病名を、すべて列挙していたのですね。現地の病院でもその程度の診療をするとは、みんな危ない橋を渡っているのだなと思いました。

海外で医師をするなら――「ゲートキーパー」になれ

中島 海外にいれば、熱帯感染症のように、日本ではなかなか診る機会のない病気やシチュエーションに遭遇することがあります。そのような事柄に対処するため、海外で働く医師にはどのような能力が必要だとお考えですか。

仲本 「これは死に至る可能性のある状態かどうかを見極める力」が必要だと思います。必ずしも自分で治療をすることはありませんが、状態を見極めて適切な病院に連れて行き、ふさわしい医師に診てもらう力が大切です。

 そして、何よりもコミュニケーション能力が重要です。各地の医務官によく言っていたのは、「医務室のドアは常に開けておくこと」。どんなときも患者さんや職員が入ってきやすい空間を作り、さらには自分から外へ出て行って職員の様子を直接チェックするような、オープンなマインドをもっているといいですね。医務室にこもって、一人の世界に没頭するようなタイプの人は海外での仕事は向かないと思います。

中島 そうですよね。それから、情報収集能力も重要ですね。海外における情報収集能力とは、英語力とITリテラシーの2点と、現地の人から直接聞き出すコミュニケーション能力だと考えます。

 何万人もの日本人を1人の日本人医師が診るのであれば、仲本先生のお話の通り、重篤な患者さんはきちんとした病院に送らなければいけません。そういった窓口になるのであれば、現地の医師とのつながりも大切です。

 加えて重要なのが、「助けて!」と言える能力。困ったりわからなかったりすることがある場合、誰かへすぐに助けを求める能力というのも、大事なことだと思います。

仲本 本当にそうですね。自分1人でできることなんて限られていますから。私はもともと外科医としてスタートしていますから、チームで動くことは当然でした。その経験はのちのち役立っています。

 現代の医師国家試験で問われる内容は、私の時代よりも何十倍も増えていることでしょう。ただ、その全ての知識を把握することは不可能なのではないでしょうか。ですので、一部はAIに任せたり、その道の専門家に聞いたりというのが上手いやり方です。海外で医師として働くのならば、「ゲートキーパーになれればいい」という考え方をもつことが重要だと思います。

中島 ただし、問題は、窓口として紹介する現地の医療機関といった組織はどこがいいのか、ということですよね。情報があまりありませんし、それをどこで手に入れるかというのも課題ですよね。

仲本 そうですね。そういうときに、ジャムズネット(『日本人は「弱者」で「マイノリティ」…医師はどう支援』参照)をぜひ使っていただきたいと思います。

部下の自殺を経て実感――海外で働く医師に必要な資質とは

中島 海外で医師として働くための資質を、仲本先生ご自身はどのように育んだと考えていらっしゃいますか。

仲本 私自身は、海外で育てられたと思っています。前々回お話した通り、私は人と話すのがあまり好きではなかったので、患者さんと話すことが比較的少ない外科医になったんです。そういう気持ちをもっていましたが、医務官としてミャンマーやインドネシアに行ってわかったのは、邦人にとって海外で一番大変なのはメンタル面だということです。

 実はインドネシアで職員の自殺に対応したことがあります。あの時はとてもショックを受けて、その後10年ほどはメンタルの勉強ばかりしていました。医師として、コミュニケーション能力の必要性を痛感した出来事でした。

 この時の経験は、日本に帰ってから「家族支援」という支援活動で活かされました。えひめ丸事故(※)の被害者家族や、北朝鮮拉致被害者家族の支援に携わったのです。メンタルを整えるための知識や、医師として必要なコミュニケーション能力は、海外の経験で得たものだと思います。
※えひめ丸事故…愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦に衝突されて沈没し、生徒ら9人が亡くなった事故

中島 私も医師キャリアの半分を海外で過ごしているので、今ある能力の根っこの部分は、海外で学んだと感じています。しかし、臨床医の場合は、自分が勉強することを患者さんのニーズからしか見つけられないですよね。

 目の前にいる患者さんの状況に応じて学ばなければいけないことがあって、それについての知識を身に付けたら医療現場でブラッシュアップさせながら理解を深めていく。国はどこであっても、臨床医であればこの現状は同じだと思います。私の場合、最初に医師になった日本でこの力を培い、それを海外で発展させたように思います。

次回予告

 次回で、仲本先生との対談は最終回。COVID-19の世界的流行を取り上げ、保健所長として働く仲本先生と、ベトナムで流行の抑制に奮闘する中島先生とともに、これからの日本人医師に必要な能力を考えていきます。