海外の日本人患者に「メンタル不調」が多い深刻な理由

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その9

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。 

今回から4回にわたりご登場いただくのは、ベトナムで人材紹介事業を行うJAC Recruitment Vietnamの元社長の加藤将司さんです!ベトナム在住であれば、一度は聞いたことがある名ではないでしょうか?
ベトナムにおける人材採用とマネジメントの専門家としての経験から、医師に限らず誰もが海外で働く際に知っておきたいことについてお話を伺います。

今回は海外進出企業が守るべき安全配慮義務の問題と、海外で働く日本人のメンタルヘルスの問題について、海外での特殊な人間関係や労働環境問題を織り交ぜながらお話を聞かせていただきました!

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加藤将司氏(後列右から4番目)とJAC Recruitment Vietnamのスタッフ(画像は筆者提供)

 グローバル化が進む昨今、医師にとっても「海外」が身近な話題となっています。日本人の約100人に1人が海外で暮らす現代、先生方ご自身が国外で活躍したり、自分が診ている患者さんが外国に移住したりすることをサポートしなければならないことも十分あり得るのです。
 さらに新型コロナウイルス感染症が世界中で流行し、在留邦人に対する健康面・医療面のサポートのニーズが高まっています。いまや、医師という職業を続けていく上で、海外の事情に無関心では成り立たない部分があると言っても過言ではないでしょう。
 本連載では、ベトナムで総合診療医とヘルスケアビジネスのアドバイザーという二つの顔を持つ中島敏彦先生がご登場。先生と関わりのある医師、看護師、ビジネスマン――国際的に健康・医療分野で活躍する方々を招き、グローバル社会の中で医師に何が求められているか、探っていきます。
 今回ご登場いただくのは、ベトナムで人材紹介事業を行うJAC Recruitment Vietnamの元社長である加藤将司氏。ベトナムにおける人材採用とマネジメントの専門家としての経験から、4回にわたり、医師が海外で働く際に知っておきたいことなどについてお話を伺います。

海外で働く日本人に多いメンタルヘルス問題
――その原因は?

中島 私が加藤さんと最初にお会いしたのは4、5年ほど前になりますね。私が知人と食事をしている席で偶然一緒になりました。海外に駐在する日本人のメンタルサポートについて教えてもらったのを覚えています。

 加藤さんはその頃ホーチミン在住で、現地の日本人の間では知らない人がいないというほど顔が広い超有名人。加藤さんを知らない人はもぐりだと言われるくらいでしたから。

加藤 あの頃はよく一緒に飲んでいましたね。

 私はずっと民間企業の人材畑の人間として、医師を含む人材採用・育成に携わってきました。大手人材サービス会社に入社して人材採用業務に携わったあと、2012年に転職エージェントであるJAC Recruitmentへ入社。2013年に、ベトナムでのマネージャー層の転職に特化したJAC Recruitment Vietnamを立ち上げ、2018年に帰国するまでホーチミン、ハノイの2拠点で、医師を含む幅広い分野の人材採用やマネジメントの専門家として奮闘してきました。

中島 ベトナムだけではなく、海外で日本人診療をしていると、明らかに職場環境が原因で、メンタルヘルスの問題を生じた日本人駐在員に遭遇することは、珍しくありません。なぜそのような方が多いのか、医師はどう対処していけばいいのかを探るべく、企業内の事情に詳しい加藤さんをお呼びしたというわけです。

 私は元々泌尿器科医でメンタルヘルスの分野は専門外でしたが、海外で総合診療医として働くようになりメンタルヘルスについて詳しくなるにつれ、特に海外駐在員におけるメンタルヘルス問題の特徴を勉強する必要性を感じました。そこで加藤さんに話を聞いて、駐在員がメンタルの問題を抱えてしまう特殊な事情を知ることができました。

海外で濃くなる人間関係
――メンタルにどう影響

中島 ベトナムにいる在留邦人の受診理由として比較的多いのは、東南アジアでよくある「屋台で食事をしてお腹を壊して下痢になった(旅行者下痢症)」とか、デング熱といった感染症です。そしてこれらの多くは現地で治療可能です。

 でも、メンタルの問題が発生すると、帰国しなければいけないほどひどい状態になってしまうことがあります。特に多いと感じるのは適応障害やうつ状態です。上司とうまくいかなかったり、環境が合わなかったり、さらに日本の会社と現地スタッフの間で板挟みになりやすい立場ということもあり、メンタルの不調を訴える人が多いですね。メンタルヘルス問題がこじれた結果、駐在員としてのキャリアが終わってしまうこともあるほどです。

加藤 メンタルの不調で日本に帰国することになる人は本当に多いですよ。それもすぐに、突然、という人が多数ですね。

 不調の原因の一つとして、やはり社内環境が挙げられます。本社と現地人材との間でコミュニケーションがうまくいかないといった話をよく耳にしますね。また、家庭不和やプライベート問題など、家庭環境もあげられると思います。

 私がベトナムで住んでいたのは小さな日本人村だったので、一時帰国のはずが完全に帰国しただとか、何の挨拶もなしに突然いなくなるだとか、正式なアナウンスがない、帰国理由がわからないときは「ハラスメントやメンタル不調が原因では?」と噂されていました。

中島 やはり…。どうしても海外駐在をしていると、職場にいる日本人の数が少ないので、人間関係が濃くなってしまいます。例えば中規模クラスの進出企業でも、職場にいる日本人は自分1人と上司が1~2人、というようなケースが多くて、その上司とうまくいかないと何かあったときに頼れる相手がおらず、逃げ場がないから精神的に追い込まれてしまうんですよね。

 さらに小規模だと「1人駐在(1人の日本人だけで、現地のスタッフ数十人を管理する状態)」となってしまうので、責任がその分重くなって、どんどん精神的に追い込まれて…というケースも多いように感じています。

 一方で、そのようなメンタルの不調をきたした駐在員は、表向きには報告されていないんです。企業としてそれをどこかに公表するわけがないですし、メンタルヘルスに不調をきたした人が必ずしも病院にくるわけでもありません。医師として、なんとか病院にたどり着いてくれた患者さんの話を聞いていると、「それは働いている環境が悪いよね……」と思うケースが多くみられます。

加藤 そういう環境で働く中でのプレッシャーやストレスの発散方法として、駐在員は日本食料理店で本社とローカル社員、そしてベトナムという国への愚痴を言いながら食事をしたり飲んだりするのが定番なんですが、それができる人って健康的な人なんですよね。

 それができずに1人で抱え込んでしまう人が問題です。ベトナムでは当然ながら、どんなに仕事が残っていてもローカル社員はみんな定時になれば帰ってしまいます。1人で残業して、問題があっても誰にも相談できないでいるうちに、精神がどんどん病んでしまうというのは珍しくないケースです。

企業から後回しにされる「安全」「医療」

中島 グローバリゼーションと共に海外勤務者が増え,成果の最大化のため安全に働ける環境が必要であることから「Duty of Care(安全配慮義務)」を推進する動きが海外では活発化しています。日本でも出張か駐在かに関わらず、海外で勤務する人が現地で安全かつ健康的に働けるよう、企業は安全配慮義務(労働契約法第5条)を負うことが明示されています。

 ですが中には、海外にいてもこの義務を知らない人や企業も少なくありません。大企業であればこれまでの経験から知見や理解がありますが、ベトナムは中小企業の日本法人が初めて海外進出してくるケースが多いんです。そうなると、後回しにされるのが「安全」や「医療」。患者さんとお話をする際に、「安全配慮義務って何ですか?」というところから始めなければいけないことも多くあります。

 ですので私は海外で働く日本人医師として、海外に進出してきている日本の企業が安全配慮義務を果たせるよう、駐在員の健康を守ったり啓発活動を行ったり、時には現地医療施設への紹介などを行う役割などがあると思ってベトナムの邦人社会と関わっています。

加藤 ベトナムは少し前まで、新興国の中でも生活面とビジネス面で高難易度だったので、駐在を任される人たちは新たな市場を開拓できるタフでパワフルな人たちがほとんどでした。

 でも今は状況が変化してきて馴染みやすい新興国に位置づけられるようになってきて、日本でいえば「地方の一都市」に近い扱い。駐在の第1弾を任された人たちは皆、難易度の高い他の新興国に行ってしまい、第2弾、第3弾で送られてくる駐在員は、最初の人たちに比べるとタフさに欠けるわけです。

 第1弾の人たちがそつなくこなしたこともあり、企業側が海外でも大した問題は起きないだろうと考えて安全配慮義務を意識しなくなっているのです。このようなケースは、特に中小企業に多いように思います。「〇〇社でホーチミンの駐在員が自殺したらしい」という話が伝わってくることもあります。

中島 自殺はベトナムに限った話ではありません。海外で日本人が死亡する原因の1割が自殺だとされています。国内での自殺率と比べて、かなり高い数字だと言えます。

 極端な話ですが、駐在中に失敗をしてしまったことで、「キャリア的、社会的な死」か「肉体的な死」のどちらかを選びかねないような精神状態に陥っている方を見かけることがあります。特に男性は自分を追い込みやすいように見えます。日本に帰国するという道を選ぶことはできるけれど、それが「社会的な死」になってしまうと考えてしまう方も多いですね。

 そこまで自分を追いつめる前に、医療が介入できればいいのですが、自分で「私はメンタルヘルスに問題があります」と自覚をもって来院する患者さんはあまりいません。例えば「眠れない」「お腹がずっと痛い」「だるさがなかなか取れない」と訴えてきたときに、よくよく話を聞いてみると原因はメンタルヘルスにあったんだ、とわかることがほとんどです。

COVID-19が在留邦人の課題を浮き彫りに

中島 ベトナムでも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行していますが、私のところに来る患者さんにも変化がありました。

 まず、COVID-19の影響で業績が上がらないことから「クビになるんじゃないか」「日本に帰されるんじゃないか」という圧迫を感じている人が増えました。

 また、もし今ベトナムでCOVID-19にかかってしまったら、日本に帰国できずローカル病院に入院することとなります。日本語どころか英語も通じないまま14日間以上隔離生活を送ることとなるため、それに対する不安や、実際に入院してしまったときのメンタルへの影響は大きいだろうと推察できますね。

 駐在員の世界は狭いですから、どこの誰が隔離されたという噂もすぐに広まりますし、それをきっかけに精神状態が悪化する人も少なくありません。COVID-19が与えるインパクトの大きさを感じます。

加藤 コロナ禍では先ほどお話ししたような駐在員特有の「日本食レストランでみんなと食事をしながら上手に息抜きをする」ということができないので、ストレスをため込んでしまっている部分はあるでしょうね。私のところにも、そういった悩みから転職の相談に来られる方も多いです。

中島 COVID-19の流行によって、これまで気づかれていなかった安全配慮義務や健康面での問題が浮き彫りになりました。

 例えば、ベトナムに進出してくる企業の規模が小さくなるにしたがって、企業が社員に入らせる保険にも違いが出てきました。補償は整っているけど比較的高額な日本の保険でなく、補償が不十分だけれども値段が安い現地の民間保険に加入する人が増えてきたんです。でもそれだと、日本人が当たり前だと思っているレベルの治療ができないケースもあります。現地の民間保険ですから、現地の方々が利用しているレベルの医療しか補償しないのは、考えてみれば当たり前ですよね。

加藤 ベトナムは零細企業とか、スタートアップも多いですからね。

中島 きちんとした補償がある保険に加入されていないため、もう少し追加で検査が必要だとお伝えしても、費用が高額になってしまうためできなかったというケースもありました。診断だけ受けて、「薬はローカルの薬局で安く買うからいい」と言って帰ってしまったこともありますね。

 でもこれって、日本ではヘルスリテラシーに関する教育を受ける機会がないので、わからないのも当然なんですよ。たとえばイギリスとか欧州の国々は、日本ほど病院は多くないし、そもそも国民が「自分のことは自分で」という考えなので、ヘルスリテラシーが高く、いろいろと自分で調べたうえで「○〇ドルまでの値段で、必要最低限可能な検査をしてほしい」と検査方針の指定をしてくることもあります。リクエストしないで医師におまかせなのは日本人くらいかもしれないですね。

 日本国内では病院に行けば自分で判断をせず、“おんぶにだっこ”状態。そんな人たちが海外に放り出されて、「お金がないなら気合で頑張ります」といった風に、突然まともなケアが受けられなくなっている人が多いと感じます。

 これらは私がいるベトナムでよくみられるケースですが、他の国でもおそらく同じことが起きています。以前私が働いていたシンガポールや中国でも、日本人駐在員は同様の行動をしていました。

 これからも日本企業はどんどん海外に進出をすることとなるでしょうが、そこで働く労働者個人として海外の医療やヘルスリテラシーについての知識が乏しいと、それによるダメージは労働者本人に覆いかぶさります。ですからそれを予防し、患者教育や啓発活動などを通してサポートをする日本人医師の役割は、国内外問わず、ますます重要になっていくと考えています。

まとめや次回予告

 ベトナムで働く在留邦人らが抱える健康問題、そしてその要因を「企業」「職場」の面からひも解いていきました。次回は話題を変えて、加藤氏と「海外で働く医師のお金事情」に迫ります。