日本人医師が患者向け情報を発信し続けるワケ

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その25

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。 

今回も小児診療の師匠の吉國晋先生においでいただきました。
海外で臨床医として働いていると、意外と情報発信をもとめられることがあります。
吉國先生は長年シンガポールで邦人社会向けに情報発信をされてきたご経験もあるので、今回はそのあたりについて詳しく聞きました。

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(シンガポールで開かれた東大同窓会のゴルフコンペにて、吉國先生(前方右から2番目)(画像は吉國先生提供))

 グローバル化が進む昨今、医師にとっても「海外」が身近な話題となっています。日本人の約100人に1人が海外で暮らす現代、先生方ご自身が国外で活躍したり、自分が診ている患者さんが外国に移住したりすることをサポートしなければならないことも十分あり得るのです。

 さらに新型コロナウイルス感染症が世界中で流行し、在留邦人に対する健康面・医療面のサポートのニーズが高まっています。いまや、医師という職業を続けていく上で、海外の事情に無関心では成り立たない部分があると言っても過言ではないでしょう。

 本連載では、ベトナムで総合診療医とヘルスケアビジネスのアドバイザーという二つの顔を持つ中島敏彦先生がご登場。先生と関わりのある医師、看護師、ビジネスマン――国際的に健康・医療分野で活躍する方々を招き、グローバル社会の中で医師に何が求められているか、探っていきます。

 前回に続き、シンガポールと日本それぞれで診療経験豊富な吉國先生にご登場いただきます。実は、海外では「集患」が勤務医の重要な仕事。中島先生と共に、集患のための取り組みや、COVID-19に関連する情報発信についても語っていただきます。

クビの危機?!試用期間を延長され…

中島 日本と海外での就労に関する大きな違いとして、海外では「クビを切られやすい」というものがあります。私が以前勤務していたクリニックがガチガチの外資系で、試用期間の3カ月の間に「これくらい患者を増やさないとクビを切る」というシステムだったんです。

 入職当初はほとんど危機感もなかったのですが、試用期間3カ月目に「試用期間を6カ月目まで延長する」と言われて、会社が本気なんだと気づきました(苦笑)。それで、6カ月目までの間に頑張って、ある程度認められたなと思ったら「辞めるかハノイに行くか選べ」と言われてしまって…。ハノイに行くことを選びましたが、そこからはホントに本気で集患に取り組みましたね。患者を集めないとクビになるって身に沁みたので。

吉國 クビのリスクが高いことは、海外にいると常々感じますよね。集患はどんな工夫をされたんですか?

中島 日本人医師がここにいる!と知らせることから始めました。積極的に講演会を開いたり、SNSなどで情報発信をしたりしましたね。あと、そのクリニックでは日本人医師が自分だけだったので、日本人駐在員のニーズを考えてマーケティング的な動きを意識するようになりました。

 吉國先生のクリニックはマネージャーが頑張っていましたよね。

吉國 マネージャーがいろんな企業を回って健診の案内をして集患してました。前回お話しした幼児教室でのおはなし会は、日本人のお母さんたちに私やクリニックをアピールする目的もありました。

 あと、シンガポールでも日本の大学の同窓会があったので、そこに入ってPRしました。私は広島大学医学部に入る前に東京大学教養学部を卒業したので、現地の東大の同窓会に入りました。

 シンガポールでは大学の同窓会同士で大学対抗ゴルフコンペが開かれていて、これにも参加しました。東京6大学対抗コンペでは、コンペの後の懇親会で大学ごとに応援歌を歌って盛り上がっていましたよ(笑)。そういう機会に交友を広げたりしましたね。

中島 そこだけまるで日本ですね(笑)。

吉國 東大同窓会も、年に2回ぐらい懇親会を開いていたので、そこでも名刺を配っていましたね。

中島 吉國先生、幹事をやっていましたよね。

吉國 はい、同窓会のメーリングリストや名簿を作成して管理したり、懇親会で幹事をしたりしました。ほかにも、私は広島出身なので、広島県人会に顔を出して名刺を配りました。

中島 集患には院外活動が大事ですよね。あと小児科って子どもが受診するときに付き添いの家族も来院するので、患者さん本人だけでなくそのご家族に知ってもらえる可能性があるから強いですよね。

吉國 帰国せずにシンガポールで出産して、そのまま乳児健診や予防接種を受けるお子さんもいるので、そうした流れも当時は意識していましたね。シンガポールは無痛分娩も選べるので現地での出産を選ぶ日本人も多かったです。

集患だけではない、情報発信の目的

中島 私が今いるハノイはクリニックの近くに住んでいる日本人が多いので、情報発信をあまりしなくても患者さんが来るんですよ。なので、今は新型コロナウイルスに関する情報発信を行って、邦人社会のリテラシーを上げたり安全を担保したりすることに取り組んでいます。

 例えば、ベトナムはほとんどアストラゼネカ製のワクチンしか入ってこなかった時期があったのですが、アストラゼネカ製ワクチンの日本語の情報ってほとんどない状態だったので…。イギリスやアメリカの論文を読み込み得た情報を、商工会などの組織を通じていろんなところで話していました。

吉國 現地で手に入るのは全部英語の情報ですしね。シンガポールも同じく、政府や保健省が出す情報や通知は全部英語ですし、医療用語も英語だから難しくて、それを要約して日本語に訳すだけでもすごく喜ばれますね。

中島 極めつけは、日本政府がベトナムにアストラゼネカ製のワクチンを供給してくれたタイミングです。日本人がワクチンを打てることになったので、邦人社会向けに日本大使館と商工会主催でアストラゼネカのワクチンキャンペーンがあったんですよ。

 それでも日本の人たちが「アストラゼネカ?何それ、怖い!」って状況になっていたので、「アストラゼネカっていうのはこういうワクチンで、他のワクチンと比較をするとこうで、今すぐ日本に帰ってファイザー打てないならとにかく今すぐ手に入るものを打つのも一つの選択肢ですよ」と説明しまして。そしたら「中島先生の話を聞いて打つことにしました」と言ってくれた人が何人もいたんです。

吉國 それはすごいですね。講演会とかもされたのですか?

中島 Zoom講演会をやりました。うちのクリニックの周りにある4つのコンドミニアムに向けて、1回50人の参加で4回やりました。火曜の午前と午後、水曜の午前と午後。同じ話をし続けました。ぶっちゃけ、クリニックの仕事というよりも現地の日本人医師としての心意気でやっていましたね(笑)。ずいぶん遠くに住んでいる方も参加していましたし、おそらく他のクリニックでワクチン接種していた人もかなりいると思います。こうした講演会を行ったのはうちのクリニックと大使館だけだったみたいです。

吉國 すごいですね。新型コロナウイルスの情報って錯綜していますし、本が沢山出版されているわけでもないから、自分たちで論文を読んで調べないといけないので結構大変ですよね。

中島 私、他の医師に比べて講演会を開いた回数がかなり多いと思うんですが、これって吉國先生の影響だと思うんですよね。前回もお話しいただいた「日本人医師としての役割」の刷り込みがある気がします(笑)。

吉國 中島先生にそう言ってもらえるのは嬉しいですね(笑)。

まとめや次回予告

 「情報発信」をテーマに、勤務医としてのノルマから日本人医師としての役割までを語っていただきました。

 次回で吉國先生との対談も最終回。海外で活躍されたあと日本に戻られたという吉國先生のキャリアをひも解いていきます。お楽しみに。