医局所属の勤務医、海外で転職→帰国した結果

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その26

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。 

今回で吉國晋先生との対談も最終回。
吉國先生は長年のシンガポール勤務を経て、現在は日本の病院で総合診療医としてご勤務されています。

今回は日本帰国後のキャリア形成についていろいろと教えていただきました!

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シンガポール家庭医療学会専門医コースのチュートリアルにて(画像は吉國先生提供)

 グローバル化が進む昨今、医師にとっても「海外」が身近な話題となっています。日本人の約100人に1人が海外で暮らす現代、先生方ご自身が国外で活躍したり、自分が診ている患者さんが外国に移住したりすることをサポートしなければならないことも十分あり得るのです。

 さらに新型コロナウイルス感染症が世界中で流行し、在留邦人に対する健康面・医療面のサポートのニーズが高まっています。いまや、医師という職業を続けていく上で、海外の事情に無関心では成り立たない部分があると言っても過言ではないでしょう。

 本連載では、ベトナムで総合診療医とヘルスケアビジネスのアドバイザーという二つの顔を持つ中島敏彦先生がご登場。先生と関わりのある医師、看護師、ビジネスマン――国際的に健康・医療分野で活躍する方々を招き、グローバル社会の中で医師に何が求められているか、探っていきます。

 吉國晋先生との対談は今回が最終回。海外勤務を経て、現在は日本で勤務医として活躍されている吉國先生に、勤務医キャリアについて伺いました。

海外勤務から帰国後の就職まで
――医局との関係は?

中島 吉國先生は日本で小児科医として働いてから海外に出られ、海外でご活躍されて、現在は帰国して総合診療医として勤務されています。

 読者の先生方にとって、海外に一度出てから日本に戻られて医師として新たなキャリアを積まれている吉國先生の姿は参考になることが多いのではと思います。まず、海外に出られた背景について伺ってもいいでしょうか。

吉國 学生の頃から海外の医療に興味があり、学内の国際交流のサークルに入ったりドイツへの交換留学に行ったりしていました。

 具体的な行動を起こすきっかけとしては、医師になってからシンガポールで働く日本人医師を紹介しているTV番組を見たんですよ。「そういう先生もいるんだ!」と興味がわいて今もシンガポールで診療をされている橋口宏先生にコンタクトを取ったのが始まりです。

 シンガポールへ行く前に、現地のクリニックや日本人小学校などを見学してから決めました。当時小児科の医局に所属していましたが、渡航に関しては医局と関係なく決めましたね。シンガポールの医師免許を申請するために推薦状が必要だったのですが、それも教授ではなく当時働いていた病院の院長に書いてもらいました。(注:今は教授の推薦状が必要だそうです)

中島 いつかは日本に帰ろうという気持ちはあったんですか?

吉國 最初のうちは少しありましたけど、慣れてくるとシンガポールは住みやすいですし、日本が恋しくて帰ろうとはあまり思わなくなりましたね。

中島 吉國先生は、シンガポールで家庭医療の専門医をとられたんですよね。すごく勉強されていたのを覚えています。

吉國 まずシンガポールの医師免許は日本とは異なり2年ごとの更新で、更新のために2年間でセミナーや学会に出席して50単位取る必要があります。

 元々家庭医療の専門医になりたいと思ってシンガポールに行った訳ではなくて、現地のクリニックで子どもだけでなく大人も診るようになってから家庭医療の勉強が必要だと感じたからです。

 シンガポールにいた頃は日本にはまだ総合診療専門医のプログラムはなくて、シンガポール家庭医療学会主催のGDFMという専門医コースを取りました。週末に開かれるセミナーやチュートリアルを2年かけて受けた後で最終試験として筆記試験とOSCE(模擬患者面接)の試験がありました。私が受験した時よりも今はOSCEが難しくなり最終試験の合格率が下がっていて、今まで日本人の医師でGDFMを取得したのは私だけなんです。ちょっと自慢ですね。

中島 私も自分のこととして興味があるんですが、日本へ帰国されるにあたって転職活動はどんな感じでされたんですか?

吉國 特別な就職活動をしたわけではなくて、広島大学病院の総合診療科の田妻教授(現JA尾道総合病院長)がシンガポールに学会で来られた際にグレニーグルス病院を案内したのが縁で、広島で話をする機会を頂きました。それがきっかけで、「広島に戻って働きませんか」と誘われて今の病院で働くことになりました。

中島 なるほど。それでは医局関係でそちらにいるんですね。

吉國 今は総合診療科の医局に入っていますが、大学に戻る気はあまりないですね。総合診療科は基本的に内科ですが、今は高齢者医療を勉強したいのでちょうどよかったです。

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左から吉國先生、シンガポール家庭医療学会会長のリー先生、広島大学総合診療科元教授の田妻先生

海外勤務歴10年、
今さら日本で働ける…?

吉國 中島先生は将来、帰国を考えているんですか?

中島 いやあ、流されるままにですね(笑)。とりあえず今は新型コロナウイルスの対応があるので、このパンデミックが落ち着いてから考えようと思っています。

 ただ、今年で海外歴10年なんですよ。医師を20年やっていて、キャリアの半分が海外。なんて言うか、帰りづらくなりませんか? 今さら日本に帰ってちゃんと医師として働けるのか不安になります(苦笑)。

吉國 いや、大丈夫ですよ! シンガポールで知り合った先生も何人か帰っていますけど頑張ってやっていますよ。

中島 実は、コロナ禍の前までは、毎年九州の山奥の病院で1週間こもったりしていたんです。当直をやりながら、「まだ日本で医師をやれる」って自分なりに確認していた。でもこの3年ぐらい確認できていないので、やっぱり不安ですね(笑)。

吉國 へええ!

中島 吉國先生は、帰国される時に不安はなかったんですか?

吉國 シンガポールのクリニックは紙カルテなので、電子カルテは帰国後一から勉強しました。入院患者の診療に慣れるのには1~2年かかりました。海外で高齢者を診た経験が少なかったですし、今よく診ている心不全や誤嚥性肺炎も以前はほとんど診たことがありませんでした。中島先生にも前立腺癌患者の緩和ケアについてご相談させてもらったことがありますよね。

中島 でも、ずっと変化に対応し続けているというのは本当に素晴らしいと思います。日本からシンガポール、シンガポールから日本、そして別の科にも挑戦されています。

吉國 そうですね。私の目標として、「生老病死」を全部診ることができる医師になりたいと思っています。小児科では「生」と「病」は診るけど、「老」や「死」はあまり診なかったので、今後しっかり経験して勉強していきたいです。

子育て中の医師が「海外勤務は良い」と言う訳

中島 吉國先生はシンガポールにいた頃から、家庭医の勉強など活発に活動されていましたよね。基本的に海外に来る人は、目が外向きの人が多い。職場の外に目が向いていて、新しい刺激を取り入れるのに躊躇や抵抗、恐怖がない人が多い気がします。

 そもそも、海外に行く時点で、ある程度バイアスはかかってますよね。慎重派は行かないというか(笑)。安定を目指してきている人も一定数いるとは思うんですが、安定を目指して海外に出てきたのに勤めた病院が安定していないこともままあるので、その流れに負けてしまったら日本に帰るだろうし、柔軟に対応できる人が生き残っていろんなことをやっていく感じはしますね。

吉國 「海外で働きたい」とシンガポールに来た整形外科医の先生が資格の関係で手術ができないのが嫌で、1年も経たないうちに日本へ帰国されたこともありました。逆に子育て中の女性医師が「夜に呼ばれることがないからシンガポールの生活が良い」と話してましたが、ワークライフバランスを重視したい人に向いていると思います。

中島 人による部分は大きいですね。いや、人生何が起こるかわからないですから、特に海外では、何があってもビックリせず、冷静に次の手を打つ心構えが一番必要かもしれない。

吉國 確かに雇用契約書も全部英語で書いてあるから、給与額はわかっても細かい契約は一見よくわからないですしね。私自身は契約に関するトラブルに巻き込まれたことはないですが、すごくラッキーだったと思います。

 あと、海外で働くのは開業医のようだと感じることがあります。海外の勤務医は患者数の目標があって、集患も仕事の一つですから。

中島 そういうことを面白い、やってみようと思うチャレンジの気持ちを持てるかが、海外で働くカギなのかもしれないですね。吉國先生、久しぶりにお話しできて楽しかったです!貴重なお話をありがとうございました!

まとめや次回予告

 今回は、吉國先生のキャリアをひも解きながら、海外で働く面白さや向いている人などを考えていきました。

 次回はベトナムの日本大使館の方をお招きし、コロナ禍で中島先生と協働されたプロジェクトについて語っていただきます。お楽しみに。