海外診療所の院長が、日本の勤務医に戻り成し遂げられた事

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その36

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。

前回に引き続き、筆者がまだ研修医のころからお世話になっている、呼吸器内科医の溝尾朗先生にお話をいただきました。
シンガポールでの総合診療医、クリニックの院長としての経験を、どうやって帰国後の日本の医療環境の中で活かし、キャリアアップしてきたのかを教えていただきました。

写真

シンガポール日本人会診療所(画像は溝尾先生提供)
 

「診療所院長→勤務医」の
珍しいキャリアが活きた瞬間

中島 この連載では何度か話題にしていますが、私もゆくゆくは帰国して、日本でキャリアを積みたいと考えています。でも、海外勤務を経て日本に帰ってきた人の話って、あまり聞かないんですよね…。今日は実際に帰国後も勤務医としてキャリアを重ねている溝尾先生に、いろいろ伺っていきたいと思います。

 さっそくですが、帰国されて、シンガポールでの経験は日本での仕事にどんなふうに活かされたんですか?

溝尾 特に地域連携に関する仕事では、それまでの経験が活かされたと感じますね。私が帰国する2年前に、東京厚生年金病院(現:JCHO東京新宿メディカルセンター)で地域連携を担当する部署が立ち上がったんですが、連携が上手くいかなくて、担当の先生が辞められたんです。

 帰国してすぐに、院長からのご指名で私が担当になりました。なぜ指名されたかというと、私は診療所の先生の気持ちがよくわかるからなんです。病院の勤務医で診療所の勤務経験のある先生はほとんどいませんよね。シンガポールで診療所の院長職を経験したことで、診療所ならではの悩みなども理解できました。おかげさまで、病診連携はうまくいったと思います。

中島 なるほど。たしかに私がその病院の泌尿器科にいた時、病診連携が強いと感じていました。具体的にはどういった点を気を遣われていたんですか?

溝尾 診療所でこれ以上この患者さんを診られないなというときは、必ず専門医に紹介します。シンガポールの専門医はほとんど診てくれましたが、日本は当時まだそういう体制にはなっていなかった。20年前の病診連携というのは今とは全然違いますからね。救急も、うちの病院含めてあまり受けない病院が多かった。でもそれだとクリニックの先生が困るということが私にはよく理解できたので、それを院内に周知して、地域からの救急の紹介はほとんど全部受けるような体制をとりました

中島 断らないですむ体制を作られたんですね。救急をあまり受けなかった状況からそこまで変えたというのはすごいですね。

呼吸器内科医が救急部長を兼任!
活かされた海外でのスキルとは?

中島 でも、それまで救急を多く受け入れられていなかったのには、もちろん理由があるはずですよね。それをどう解消したんですか?

溝尾 病院が受けられなかったのは、忙しかったからです。患者を受ければ、当然もっと忙しくなりますよね。

 一方、シンガポールでは積極的に救急を受け入れている様子を見てきました。なぜ受けるかというと、前回お伝えしたように、健康保険制度がなくすべて自由診療で歩合なので、患者を受ければ受けるほど収入や給料が増えるんですよ。でも日本は診療報酬で決まっているし給料も決まっている。そうするとモチベーションは上がりにくいですよね。

 だからとりあえず、まず私が受けるという体制にしました。なんでもいいからとにかく私に連絡をくれと。私が受けて、例えば整形外科の疾患だったら私から整形の先生に電話してお願いするやり方です。私からの依頼だと受けてくれますので。

中島 ということは、その時すでに総合診療医的なやり方で、いわゆるフロントラインを受け持って、ファーストタッチをしてから各部署へ割り振る役割をされていたんですか。それで今、呼吸器内科医でありながら救急外来の担当もされているんですね。

溝尾 そう、統括診療部長、救急診療部長もやっています(笑)。地域からの救急疾患の紹介をできるだけ断らずに受けるには、そのやり方しかないと思いました。

 そういった経験をもとに、神楽坂プライマリー研究会というものを立ち上げて、プライマリー系で有名な先生方を呼んで20回ぐらい研究会を開催しました。それはもう開業医の先生のためにやったんですよ。とても喜んでくれましたね。たぶん、私の視点はちょっと他の勤務医とは違っていたんだと思います。

中島 もちろん、シンガポールに行って院長職をされている時は、帰ってきてからそのご経験を地域連携に役立てようと思っていたわけではないですよね?

溝尾 まったくないですね。私、実はこの病院に帰ってきて、また数年修行したら、もう1回海外で診療所勤務をしようかなと思っていたんですよ。この働き方がかなり好きだったので。ところがこの役割をもらって20年経ってしまいましたね(笑)。

まとめや次回予告

 海外での診療所経験が、帰国した後どのように活かされていったかについてお話しいただきました。読者の先生方も、診療所での勤務経験を持って病院で働く価値について、改めて考えさせられる点があったのではないでしょうか。

 次回は、現在も溝尾先生と中島先生が取り組まれている海外での僻地医療について語っていただきながら、その活動内容や意義についてご紹介します。お楽しみに!