転職は「実績より“コネ”」? 米国勤務医の事情

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その39

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。

今回からご登場いただくのは、シカゴ大学心臓外科に勤務されている北原大翔先生です!
北原先生は留学を志す学生や医療者のやる気を起こさせるYoutubeチャンネル『チームWADA【本物の外科医YouTuber】』も運営されています。その登録者数はなんと14万人超え!

今回は臨床フェロー(日本で言う研修医)としてどのようにアメリカに留学し、その後どのように心臓外科医としてキャリアを積んでこられたのか、アメリカ国内での転職の仕方などについて教えていただきました!

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YouTubeライブ配信をする北原先生(下)と中島先生(上)

グローバル化が進む昨今、医師にとっても「海外」が身近な話題となっています。日本人の約100人に1人が海外で暮らす現代、先生方ご自身が国外で活躍したり、自分が診ている患者さんが外国に移住したりすることをサポートしなければならないことも十分あり得るのです。

 さらに新型コロナウイルス感染症が世界中で流行し、在留邦人に対する健康面・医療面のサポートのニーズが高まっています。いまや、医師という職業を続けていく上で、海外の事情に無関心では成り立たない部分があると言っても過言ではないでしょう。

 本連載では、ベトナムで総合診療医とヘルスケアビジネスのアドバイザーという二つの顔を持つ中島敏彦先生がご登場。先生と関わりのある医師、看護師、ビジネスマン――国際的に健康・医療分野で活躍する方々を招き、グローバル社会の中で医師に何が求められているか、探っていきます。

 今回ご登場いただくのは、シカゴ大学心臓外科に勤務されている北原大翔先生です。臨床フェローとしてアメリカに留学し、その後どのように心臓外科医としてキャリアを積んでこられたのか、語っていただきます。

海外留学を決めた理由は…
「カッコいいから」!?

中島 今回は、シカゴ大学で心臓外科医として勤務しながら、留学に関する情報発信や支援活動に取り組まれている北原先生にお話をうかがっていきたいと思います。

 私が日本にいた時には、本気でアメリカに行こうとしていた人は周りにほぼいなくて、私自身が海外を目指しはじめた時も、とりあえずUSMLE(United States Medical Licensing Examination:米国の医師免許取得試験)とか、ややこしそうな試験は受けたくなかったので一番に選択肢から外したくらい、私自身はアメリカとは縁がないです(笑)。

 なので、アメリカで働いていて、さらに「アメリカに来いよ」と情報発信している医師がいるというのが、新鮮な驚きとしてありますし、実際にどれだけの人が、渡米した後も順調にサバイブできるのか、という点も興味があります。

北原 中島先生のことは、私が毎週やっている、海外で働く医師を招いて話を聞くYouTubeのライブ配信「留学医師ライブ」に出演いただける先生を探しているなかで知りました。いつもはアメリカで働く医師に出演いただくことが多いので、ベトナムで働いている先生ってどんな人なんだろう??ってお会いするまでワクワクしていました。結構破天荒な感じなのかなとか(笑)。お話しして、すごく真面目な方だなとわかりました。

中島 真面目だったんだけど、海外にいるといろいろなことが起こるので、それだけではない部分も出てきちゃいますが(苦笑)。それでは、北原先生のご経歴について教えていただけますか?

北原 2008年に慶應義塾大学医学部を卒業して、東京歯科大学市川総合病院で初期研修をした後、医師3年目から慶應義塾大学の外科学(心臓血管)に入局しました。医師8年目でアメリカに留学。最初はシカゴ大学心臓外科で2年間、臨床フェローとして勤務し、その後ワシントンD.C.にあるメドスターワシントンホスピタルセンターで3年間働いて、またシカゴ大学に戻ってきました。

中島 北原先生が海外で働こうと思った理由はなんだったんでしょう。

北原 いくつかの理由があるんですけど、大きく言うと二つあって、一つはすごくカッコいいイメージがあったからですね。アメリカへ行って英語が話せてとか、カッコよくないですか?(笑)

 それにこのまま日本にいると、10年後にこういうポジションになって、20年後にこんな感じになって…とか、自分の平凡な未来が見えてしまったんですね。心臓外科医として抜きんでた才能を持っていないからこそ、別の何かをやっていくことで自分のバリューを増やしていった方が楽しいかなと思って、海外留学を選択しました。海外に行ったとなると、人とちょっと違うことをしているという感覚もあるし、自分の中で、ポケットというか財布が一つ増える感じがあったんです。

 もう一つの理由は、症例数を多く経験したかったからです。心臓外科医ってやっぱり手術とかの症例数が多くないと修練すること自体難しい。手術がすごく上手い人は、数例やればもうできるようになるかもですが、そうじゃない人は多くの症例を経験することが必要で、それを比較的症例数の少ない日本でやっていくのは結構厳しいと思ったんですよ。しかも日本は優秀な人がいっぱいいて競争が激しい。そう考えたら、アメリカに行った方がラクなんじゃないかなと。

中島 実際に渡米していかがでしたか? 症例は多いんでしょうか。

北原 そうですね。心臓外科医になる人が少ないのと、病院自体がセンター化しているので、一人当たりの心臓外科医に回ってくる症例数は多いと思います。

海外行きは
「先輩の“ディスり”を聞いて…」

中島 海外に行った方がいいと思い始めたのはいつごろだったんですか?

北原 初期研修医の時に、2つ上の外科医の先生が日本のシステムをディスりまくっていたんです。「こんなのありえない、こんなことやってられるか!」みたいな(笑)。真偽は別にして、初期研修医なんて、結局、2、3個上の先輩のいうことはもう全部その通りに受け取るんで、じゃあ自分も海外でやっていこうかなと思い始めたんです。留学に向けUSMLEを勉強しだしたのが、初期研修医の2年目ぐらいでしたね。

中島 周りの環境って、とても大事ですね! 留学に向けて、どんなふうに準備を進めていったんですか?

北原 情報があんまりなかったので、留学先はアメリカしか考えてなかったです。心臓外科医の中でアメリカだったらフェローから行っている人が何人かいたので、なんとかなるだろうっていうふうに思っていました(笑)。

 ただ、まずはUSMLEをとらないとスタートラインにすら立てないので、心臓外科医をしながらUSMLEをとって、それからは、周りの先生に海外留学したいですって言い回りました。アメリカの病院にメールを送ったりとか、就職サイトの募集を見たりとか、そういった活動はしませんでしたね。運よく人づてで「フェローの枠が空いたからどう?」ってお誘いを受けることができて、就職したっていう流れです。

 実は、アメリカの名だたる大学には、大体日本人の心臓外科医がいるんですよ。シカゴ大学だったら、今は4人います。そういう大学にはインターナショナルフェローの枠があるんです。フェローに欠員がでたりするとUSMLEの資格を持っていて、ある程度の手技ができる7、8年目ぐらいの心臓外科医を探すので、そこに私は上手くハマったという感じです。

中島 日本国内の病院や、海外にある日系の民間病院だと人材紹介会社が間に入ってくることがありますが、アメリカだと人づての紹介と職歴で決まってくるんですね。

北原 心臓外科のフェローに限ってのことかもしれないですが、めちゃくちゃ狭い領域なので、母数が小さすぎて紹介会社は商売が成り立たないでしょうし、実際必要ないかもしれませんね。

海外での転職はコネが最強!?

中島 北原先生がアメリカで転職を考えるとすると、何を使いますか? これも人づてなんでしょうか。

北原 そうなんです。シカゴ大学からメドスターに移った時もそんな感じで就職活動しました。フェローシップが終わる1年前ぐらいから、一緒に働いている同僚や他の先生に「来年働くのにいい場所あったら教えて」とか言っていました。そうしていると、ちょこちょこ話をいただいたりするんです。

 この時もワシントンD.C.の病院で欠員の補充の話があり、その補充にどんな医師が必要なのか、さらに私に何ができるのかを知っている人が、「ちょうどいいじゃん」って感じでつないでくれたんですよね。

 私が直接その病院に交渉しても、病院側からしたら私はなんだかよくわからない人じゃないですか。実績を話したとしてもなんの保証もない。病院としては結構なお金を払ったのにその人がダメな人だったら困る。すごく優秀じゃないとダメということではなくて、最低でもちゃんとしてくれる人だという保証が欲しい。

 だから、紹介してくれる人がいると保証人みたいな感じになるので、就職において非常に強いんだと思います。経歴がすごい医師よりも、その科で権威があったり、地位が高かったりする人からの紹介がある医師の方がおそらくは強いでしょうね。

中島 それはうちも同じですね。コネって言ってしまうと日本だとネガティブな感じで捉えるところがあると思いますが、海外のリファラル(紹介)制度というのは、職務経歴書でわかるスキルだけではなくて、人柄とかチームの回し方であるとか、患者さんへのコミュニケーションスキルだとか、そういうのをすべて含めたうえで見るんですよね。

北原 そうですね、面接で見抜くみたいなのは難しいですよね。30分くらい話して、その人は手術ができるかとか、医療者としてちゃんと働けるかなんてわからない。

中島 信頼できる第三者から「この先生いい人だよ」って言ってもらえた方が全然信頼できますよね。

 ちなみに、フェローのプログラムが終わるタイミングで帰国しようとは思わなかったんですか?

北原 もともとプログラムが終わってからどうするかは特に考えていなくて、着の身着のままというか、絶対就職して残ってやるぞ!みたいな感じというより、何かポジションがあるんだったら残ろうかなという感じでした。

 でも、アメリカの方がたくさん手術はできるし、給料も高いし、時間もあるし、しがらみみたいなものに縛られることもないから、仕事面でいえばアメリカに残りたいなとは思っていました。もちろん生活面に関して言ったら日本の方が過ごしやすいですけど、まあでも慣れればそんなに気にならないです。

中島 その感覚は私も同じです。ただ、私はぼちぼち日本に帰りたいな…とは思っていますが(笑)。

まとめや次回予告

 心臓外科医としてアメリカを目指した背景や、キャリアを積んでいく際の“人づて”の重要性について、北原先生の経験をもとに探っていきました。

 次回は、臨床の視点から手術やチーム医療について、日本とアメリカとの違いを詳しくご紹介します。お楽しみに!