海外の日本人医師、活躍のカギは副業に?

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その1

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。
 
ちなみに今回話題に上げた、ヘルスケアビジネスのアドバイザーはClover Plusというホーチミンの街中にある日系商社でやらせてもらっており、臨床業務以外の医療に関するご相談はこちらで引き受けさせていただいています。この会社は日本の医薬品や医療機器、スポーツ用品の輸入や卸、健康問題に関するコンサルティング(日本で言うところの産業衛生業務に近い)などを手掛けています。ご興味・ご相談がある方は是非こちら迄

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(画像:筆者提供_以下同)


 グローバル化が進む昨今、医師にとっても「海外」が身近な話題となっています。日本人の約100人に1人が海外で暮らす現代、先生方ご自身が国外で活躍したり、自分が診ている患者さんが外国に移住したりすることをサポートしなければならないことも十分あり得るのです。

 さらに新型コロナウイルス感染症が世界中で流行し、在留邦人に対する健康面・医療面のサポートのニーズが高まっています。いまや、医師という職業を続けていく上で、海外の事情に無関心では成り立たない部分があると言っても過言ではないでしょう。

 本連載では、ベトナムで総合診療医とヘルスケアビジネスのアドバイザーという二つの顔を持つ中島敏彦先生がご登場。先生と関わりのある医師、看護師、ビジネスマン――国際的に健康・医療分野で活躍する方々を招き、グローバル社会の中で医師に何が求められているか、探っていきます。

 ベトナム・ハノイのクリニックで働いている中島敏彦です。主に総合診療医として、現地に滞在する日本人の診療にあたっています。臨床現場での仕事のほか、日本からベトナムに進出する企業のヘルスケアビジネスのアドバイザーも担っています。

 この連載では対談形式で、世界中で活躍する医療者やビジネスマンとともに、グローバル社会における医師に必要な能力や活躍の場を探っていきます。

 対談は次回から始めるとして、初回となる今回は私の現在の仕事、そしてそこで得られた学びについてお話しします。

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海外で勤務医9年目――クリニックで担う2つの役割

 私は2003年に秋田大学医学部を卒業し、日本の病院で泌尿器科医・緩和ケア医として勤務しました。転機は2011年。旅行で訪れたシンガポールにて、邦人向けクリニックの面接を軽い気持ちで受けたところ、予想に反して合格したのです。

 その後2013年にシンガポールへとわたり、総合診療を中心に熱帯医学、渡航医学などを学びました。北京、ホーチミンを経て、今はハノイのクリニックで勤務しています。

 そのクリニックで、私は大きく二つの役割を担っています。

 一つは、総合診療医として現地の日本人患者の窓口となること。専門医に回すなど必要な判断をしながら、治療のはじめから終わりまで対応します。必要に応じて、国外へ患者さんを搬送することもあります。

 もう一つは、日本での専門である泌尿器や緩和ケア(痛みのコントロール)分野の診療。こちらは、ベトナム人、欧米人など国籍問わず診ています。

 ベトナムに移住して約7年、食事がおいしく(日本人の料理人が多く、日本食のレベルが高いのです)、暖かいところが好きなのもあって、今の暮らしは概ね気に入っています。

写真ハノイのローカルレストランにて

最初の職場は邦人向けクリニック――キャリア開始に最適だった訳

 現在、私はこうして臨床医としての職場、キャリアを作り上げることができていますが、海外で働こうとするときは“作戦”が大事です。それがなければキャリア形成ができず、失敗もあり得ます。

 お話した通り、私の海外でのキャリアはシンガポールの邦人向けクリニックから始まりました。振り返るとこれが“作戦”として、とても良い選択でした。なぜかというと、患者は日本人、スタッフも日本人が多かったので、英語が話せなくても十分働けたからです。海外で働きたかった私にとって、この上ない環境でした。

 約1年後、より高度な医療に携わりたいとの思いから、国際的に医療・トラベルセキュリティを扱う会社に転職しました。その頃にはある程度英語に慣れていただけでなく、採用条件の「海外勤務経験が半年以上あること」を満たしていたのです。

 英語がそこまで堪能でなかった私が、長年海外で臨床医として活躍できているのは、最初の“作戦”がうまくいったからだと思います。

 とはいえ、医師免許があれば日本でまた働くこともできるわけですから、「そこまで深く考えずに、興味があれば一度海外にチャレンジしてみたら?」という思いもあります。

単なる「専門職の外国人労働者」である医師――海外で生き延びるには

 一方で海外における私は、医師免許を持っていても「専門職の外国人労働者」の一人にすぎません。自分の実力や専門性を活かした働き方ができなければ、労務交渉で不利になったり、契約を切られたりしてしまうこともあります。

 とはいえ、自分と同じように働いている、いわば「ロールモデル」的な存在が身近にいないため、自分のスキルをどうやって示し、そのスキルでどう結果を残すのかなど、会社との交渉を有利にするために必要なことを自分で考えなければいけません。

 そこで考えたのが、他業種の日本人ビジネスマンとの情報交換を積極的に行って、ヒントを得ることです。

 ベトナムで医師として働いていると、日本人患者を通じて他業種の方と知り合う機会があります。そういった方々と積極的に関わり情報交換する中で、ベトナムの医療事情やビジネスのトレンドなどを把握し、外国人労働者としてのふるまい方を学んでいます。

 さらに、思わぬ副産物がありました。例えば医療機器に関して、他業種の方から「これはベトナムで売れますか?」「ベトナムの認可制度は?」などの質問が寄せられるようになったのです。

 ここにビジネスチャンスを感じ、医療系商社を経営する友人と組んで、日本企業のベトナム進出のサポートをビジネスにしました。

 これが、私の臨床医以外のもう一つの顔、ヘルスケアビジネスのアドバイザーです。副業として民間企業に所属し、ヘルスケア分野でベトナム進出を考えている企業・商品に対して医療面からアドバイスを行っています。

 副業を始めて臨床以外の分野にも目が向いたことで、ベトナム医療の全体が把握できるようになり、本業にもプラスの効果を得ることができています。

 加えて、単純に医師以外の仕事をすることの楽しさも感じられますし、日本人のコミュニティで働くことで自分も日本人の一員であり、日本の役に立つ仕事ができているんだという、今までにない喜びや充実感も得られています。

 日本で働いていた時には他業種の方との交流はほぼ皆無でしたから、これは海外で働くことの醍醐味の一つかもしれません。

写真ホーチミンのバックパッカー街

海外と関わらざるを得ない――これからの日本の医師

 今はもう、海外で働くことが特別なことという時代ではありません。日本国内を見ても、人口が減少傾向にあり、海外からの労働者がたくさん入ってきています。現時点でも技能実習生など多くの外国人が活躍していますし、それに伴い新型コロナウイルスの集団感染などさまざまな問題も出てきています。

 そのような時代だからこそ、医師も海外に目を向けるべきです。と言っても、私自身日本が大好きですし、皆に「海外で働くべきだ!」と言いたいわけではありません。しかし働く場所は日本だとしても、冒頭にある通り、医師という仕事をしていると海外と関わらざるを得ない場面が数多くあります。

 ですから、医師として日本人の健康に寄与することにやりがいを感じるのであれば、海外とかかわりがある日本人や日本の社会のグローバル化にもうまく対応していく必要があるのではないでしょうか。

 今後の連載では、ベトナムで働く私が日頃大事にしている“顔の見える連携”をしている医師や、ビジネス仲間などに登場いただく予定です。彼ら、彼女らとの対談を通じて、日本人医師が海外で活躍するために知っておいてほしいことを、一つずつ伝えていければと思っています。

 海外で起きている“特別”なことではなく、“地域医療連携”の一環くらいの気持ちで、読んでいただければ幸いです。

 次回は、私のかつての同僚であり、今は日本で国際医療搬送に携わっている救命救急医・葵佳宏先生をお招きします。お楽しみに!