海外医師が直面、泣きながらコロナの検査を受ける患者
グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その45
日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。
今回もベトナムで企業の海外進出をサポートする「株式会社VIT Japan」の代表取締役であり、有名なベトナム在住日本人Youtuberでもある猪谷太栄氏にいろいろお話を聞いていきます!
今回は、特にベトナム在住日本人がコロナ禍中どのように過ごしたのか?ビジネスがどのように影響を受けていたのか?そしてどのようにそれを乗り越え今ベトナムで活躍しているのか?についてお話しいただきました!
中島先生(一番右)と猪谷氏(左から2番目)(画像は中島先生提供)
コロナ禍初期、
ロックダウンもしたベトナムで医師は…
中島 新型コロナウイルス(COVID-19)とビジネスの関係についていろいろお話をうかがおうと思うんですが、私が働く外国人向けクリニックでの経験から話すと、現地で働く駐在員がベトナムから自分の国に退避したことで、患者が激減しました。それに、COVID-19と診断されると新聞に名前が載るような時期があったので、来院を控える人もいましたね。結果、クリニックビジネスがピンチに陥りました。
猪谷 我々ビジネスマンの感覚で言うと、2020年2月ぐらいから日本からの出張者が減り始めましたね。ベトナムでの1回目のロックダウンが3月末にあって、満足にビジネス活動を行えなかったので、それによってこれはヤバいぞ、仕事にならないぞ、ということで、ベトナムから駐在員を引き上げる会社が結構ありました。
病院に行くこと自体が危ないんじゃないか、のような雰囲気になっていたので、半分も患者が来ない状況だったんじゃないですか?
中島 そんな感じでしたね。病院に行ったら、他の患者さんや働いているスタッフからCOVID-19をうつされると怖がっている患者が多かったですし、実際にCOVID-19と診断されたら、ベトナム政府の指定した施設や病院に隔離されましたから。いろいろな意味で病院が怖がられていましたね。実際に咳や鼻水が出ている人が「病院に行きたくないです、でもコロナにかかってしまってるかもと思うと怖いんです!」って泣きながら来るとか、地獄のような状況も経験しました(苦笑)。
流行の初期の段階では、COVID-19患者を治療できる病院はベトナム政府が指定した病院だけで、私がいるような一般のクリニックでできたのは診断だけだったので、医師としても、ビジネスとしても苦しかったですね。うちのクリニックの内部では、マレーシアのCDC(Centers for Disease Control and Prevention:疾病対策予防センター)で働いた経験がある医師をリーダーにして、起こり得るであろう状況を予測し、2年ぐらい耐え忍べばWithコロナになるはずだっていう予想をかなり初期の段階でたてていました。
猪谷 私たち経済人は、自分のビジネスが上手くいってほしいという願望も含めて評価するので、甘い予想を立ててました。私は、1回目のロックダウンが終わった後に、「半年くらいはこの状況が続くだろう」くらいのことを言っていたんですが、中島先生はそのときから2年はダメだと言い切っていましたよね。「そんなことないでしょー」って、他の人は言っていましたけど、「いや、2年ぐらいは厳しいよ」と中島先生は断言していて、事実そうなりました。
中島 月に1回、みんなで集まって、カレーを食べながら話してましたよね(笑)。コロナと経済を語る会みたいな。
猪谷 ベトナムの日本人社会を代表するような偉い人も来てみんなでわいわいやってましたね。
中島 ちなみに、なんでカレーかというと、猪谷さんがカレーが好きだというのと、カレー屋さんがオープンスペースだったから(笑)。
COVID-19の感染状況の予測がある程度つけば、それはビジネスに落とし込めるので、情報交換していた感じですね。
仕事はない、家からも出られない…
そんな中で経営者が始めたのは
中島 猪谷さんも海外進出のサポートをされていたわけだから、影響は甚大でしたよね。経営者として、どう乗り越えられたんですか?
猪谷 新規の仕事の相談は来るはずもなくて、ベトナムから撤退した方がいいんじゃないかという話もしていました。スタッフでも、日本に一時帰国したきり1年以上帰ってこられない人が続出しましたしね。
日本からお客様も来ず、暇で暇でどうしようもないので、動画でベトナムの状況でも伝えるか、ということで始めたのがYouTubeです。ベトナムのニュースサイトなどを見てそれを簡単にまとめて、15分~20分くらいの尺で喋っていました。
ロックダウンの時期なんかは家から一歩も出られないので、日本から単身で来ている人で一日中誰とも会わない、喋らない人という人がいっぱい居たんですよね。唯一日本語を聞くのは私の動画だけ、みたいな人もいましたね。
あと日本にいる本社の上司へ送るレポートの中で、私の動画のURLを貼り付けていた人が結構いたみたいです。要は、ベトナムはこんなに厳しい状態だと話しても信じてもらえなかったんですよね。そこで、第三者が言っているのを見てください、みたいな感じで利用してもらっていました。
中島 猪谷さんは「暇だから」動画を始めたとのことですが、着眼点がさすがですね。当時、ベトナム人の中でも情報が錯綜していた中で、特に外国人である我々は正しい情報を得るのが大変でしたから。
猪谷 海外に出てから、情報の大切さは本当に身に染みて実感していましたからね。
例えば、スーパーロックダウン(ほぼ外出禁止のロックダウンをベトナムの邦人社会はこう呼んでいた)が始まるぞというときにベトナム政府から、もう本当に家から一歩も出られないぞ、食料は軍から配給が来る、このロックダウンは二日後から実施するぞ、と通達があったんです。
我が家はベトナム語でその情報をひろって、すぐに食料の確保に走りました。長くベトナムに住んでいると、軍の配給が自分たちのところに届くわけがないということがわかるんです(笑)。妻と私とで手分けして買えるだけの食料を買いに行って、リンゴ1個買うためにスーパーに30分並ぶということを何度もし続けました。
ベトナム経験が浅く現地の状況に明るくないため、情報を正しく理解することができない方とかだと、軍からの配給があるって言われているから、「とりあえずパンの一斤だけでも買っておくか」っていう悠長な感じで、スーパーロックダウンを迎えた方も結構いたんですよ。
でも、待てど暮らせど配給なんて来ない。毎日、食事は食パン1枚みたいな生活をされる方が続出しましたね。
中島 情報格差がすごく起こりましたよね。そうした中で何ができるか、ということを考え抜いたビジネスマンとしての判断は、とても素晴らしかったと思います。
まとめや次回予告
駐在員の大量帰国や大規模なロックダウンをどのように乗り越えていったか、経営者の視点から語っていただきました。
次回で猪谷氏との対談も最終回。円安の影響や、今海外で求められる医師像などについて考えていきます。お楽しみに!