なぜ?一刻争うベトナムの邦人患者、タイに搬送

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その3

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。

今回もインターナショナルSOSの葵先生と、海外での日本人診療や国際搬送などについての対談です。お互い気心が知れているので、とても楽しい対談でした!
 
この対談はZOOMを使ってやらせてもらったのですが、本当に便利な時代になりました。僕が海外に出てきたのは2013年で、普通にアイフォンとかGoogleとかあったので、困ったらそれを使っていろいろ調べればよかったのですが、それ以前に海外で活躍されていた方は、本当に超人です。
 
もちろん英語も大切なのですが、IT(といってもスマホのアプリ程度)も柔軟に使いこなせれば、海外での仕事もだいぶ楽になるよなと思いつつ・・・・

以下本文

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国際医療搬送の専用機の前で、葵先生(左)と同僚の看護師(右)(画像:筆者提供_以下同)


 グローバル化が進む昨今、医師にとっても「海外」が身近な話題となっています。日本人の約100人に1人が海外で暮らす現代、先生方ご自身が国外で活躍したり、自分が診ている患者さんが外国に移住したりすることをサポートしなければならないことも十分あり得るのです。

 さらに新型コロナウイルス感染症が世界中で流行し、在留邦人に対する健康面・医療面のサポートのニーズが高まっています。いまや、医師という職業を続けていく上で、海外の事情に無関心では成り立たない部分があると言っても過言ではないでしょう。

 本連載では、ベトナムで総合診療医とヘルスケアビジネスのアドバイザーという二つの顔を持つ中島敏彦先生がご登場。先生と関わりのある医師、看護師、ビジネスマン――国際的に健康・医療分野で活躍する方々を招き、グローバル社会の中で医師に何が求められているか、探っていきます。

前回に引き続き、東京にいながら世界中の日本人患者を支える葵佳宏先生がご登場。患者を国外へ搬送した事例を基に、海外の日本人医師として必要な能力を考えていきます。

遠方で重症患者発生 最適な選択肢は

中島 今回も、私と葵先生が協働した事例を見ていきましょう。

 私がベトナム・ホーチミンのクリニックで勤務していた時の事例を紹介したいと思います。ホーチミンから数百キロ離れた場所で日本人男性が頭部外傷を負ったと、男性の同僚から私に連絡が入りました。ベトナム在住の日本人医師はそう多くありませんから、遠方での事故にも関わらず私のところに連絡が入ったのです。

 男性は、幸い、海外で医療的なサポートを受けられるインターナショナルSOS(以下、Intl.SOS)のサービスに加入していました。私は電話で男性の状況を聞いたうえで、一刻を争うと判断し、当時葵先生のいたシンガポールのIntl.SOS本社に連絡しました。

 私は前回の事例と同様、日本人患者さんの医療情報を集めるべく中島先生から話を聞いたり、患者さんが搬送された医療機関に問い合わせたりしました。国際医療搬送をするにしても、これはあくまでも最後の手段です。搬送自体がリスクとなり、搬送中に亡くなることもあります。

 ですので、まずは患者さんが国外での治療を要する状態であるか、搬送が必要であればそれに耐えうるか、情報を集めるのです。

 加えて、患者さん自身がどれほど治療にお金をかけられるかも、重要な判断材料の一つです。駐在や出張で海外にいる方は会社の経済的な支援がありますが、海外旅行保険に加入しているだけの方は保険料に契約限度額があり、できることが異なってきます。

 このときの場合は、患者さんの状況から、より高度な医療が受けられるバンコクに搬送するのが望ましいものの、一方で搬送を待つ猶予はないことが分かりました。

中島 刻一刻と患者さんの病状は悪化し、数時間で脳ヘルニアを発症するリスクがありました。患者さんの搬送先はベトナムの田舎ですので、医療水準はあまり高くありません。しかし、搬送を待つほうが死亡リスクを高めてしまう。現地で緊急手術を受けるほうが患者さんのメリットが大きいと考えました。葵先生にもその考えを伝え、最終的にIntl.SOSも現地での手術に同意しました。

 幸い、手術は成功。私は改めて、葵先生に現在の状況を共有しました。

 そして今度は、手術後のステップについて検討する必要があります。術後の管理をどうするか、今回の患者さんは頭部外傷ですので社会復帰のためのリハビリはどうするか、ベトナムでこれらのステップのどこまで進められるか――。

 中島先生がもつ現地の医療情報を踏まえ、亜急性期を過ぎたら医療専用機で日本に帰国させることとなりました。

中島 リハビリに時間を要する見込みがあり、患者さんは語学が堪能ではなかったため、日本でリハビリをしてもらおうという判断になったんですよね。

 そうですね。ひとまず一刻を争う状況ではなくなったので、フライトドクターとしてシンガポールからその患者さんを迎えに行った際、ホーチミンに立ち寄って中島先生とフォーを食べたのを覚えています。

「不確実」が当たり前の海外

中島 私が日々痛感しているのは、日本の常識が通じない海外において、的確な判断を下す能力が必要だということです。判断した結果どのような選択をとるか、選択肢を多くもつことも重要です。

 今回は患者さんを医療水準の低い場所で手術するか、高度な医療を提供できる場所まで搬送するか、判断が問われました。患者さんにとってより助かる可能性の高いと考えられる選択をした結果、現地で手術することになりました。

 私は判断基準の一つとして、リスクとベネフィットを強く意識するようになりました。日本で働いていた時は、安心して働ける環境だったので一般的なリスク以外はあまり考えず、積極的にベネフィットを追い続けることができましたが、ベトナムだと医療設備や環境が大きく異なります。今回のように、設備が整っていない田舎の病院で手術するには、日本では考えられないようなリスクがそれなりに伴います。

 治療することでリスクを上回るベネフィットがあるか、常に考えるようになりましたね。加えてプランAだけでなく、プランBも必ず用意して判断する。どうしても日本と違うところはあるし、できないことも多いので、「じゃあそのなかでできるのは何だろう」と発想を広げています。葵先生はいかがですか?

 同感です。選択肢を多くもつという点に関して、私は海外で働き始めてから“uncertainty”という言葉を学びました。

中島 「不確実性」という意味ですね。

 はい。どんなに先のプランニングをしても、1時間後、2時間後にはどうなっているかわからないのが海外だと思います。転院搬送一つとっても、日本の病院にように連携室同士がうまく連絡を取り合うだとか、決まった曜日・時間に患者さんを連れていけばいいとか、システマティックなフローが海外にはありません。

 ですので、私は、想定していたフローがうまくいかなかった場合の引き出しを多く用意するようにしています。中島先生がおっしゃった「プランB」のように、常に代替案を用意していますね。

中島 例えばどんな?

 例を挙げると、現地の患者さんの医療情報を得る場合、中島先生や見知った医師が現場にいればいいですが、そうでなければ病院に電話して主治医とつながるのを待つか、書面で回答をもらう必要があります。そうすると、欲しいタイミングで欲しい情報が得られず、結果的に手遅れとなってしまうこともあり得ます。

 ですので、私はタイムリーに情報を得るため、現地にいる同僚に頼んで患者さんとSNSの連絡先を交換し、スマートフォンのビデオ電話で直接やり取りすることもあります。もちろん患者さんの同意を得て行うのですが、正式な手順ではないので、社内では賛否両方の声が上がりました。しかし、百聞は一見に如かず。ビデオコールすることで多くの情報が入り、次のプランを練りやすくなりました。

 患者さんの情報を集めることは、まるでパズルのようだと常々考えています。患者さんの容態を把握するのに必要なピースが100個だとすると、ひょっとすると私たちは50ピースしか集められていないかもしれない。でも、半分あればなんとなく全体像が見えてきます。あとは、いかに残りのピースのなかから必要なパーツを集めるか。適切な判断・選択をするため、フレキシブルに考えることが重要です。

中島 もっともです。臨床の現場でも決まった通り物事が運ぶことはあまりないので、日本にいた頃より、ありとあらゆるパターン、可能性を考慮するようになりましたね。

まとめ

 さて、今回も、事例をもとに、私たちが海外を舞台に働くうえで必要だと感じるスキルや考え方をご紹介しました。次回は、いよいよ葵先生との対談の最終回です。最後は、同じく海外でのキャリアを選択した同僚として、医師のキャリアについて考えていきたいと思います。お楽しみに。