医局人事で「海外の診療所」 を志望した勤務医、その訳

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その34

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。

今回は筆者がピチピチの研修医のころからお世話になっている、JCHO東京新宿メディカルセンターの元院長補佐で、呼吸器内科医の溝尾朗先生です。もう20年近いお付き合いになります。

溝尾先生は、スマホもない20年以上前にシンガポールの日本人社会で医師としてご活躍された方です。
今回は特にシンガポールの診療所で院長職をされたご経験をお話しいただきました。

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医局の派遣先に海外診療所が!
自分から手を挙げた訳

中島 溝尾先生とは、私が海外に行く直前に勤務していた東京厚生年金病院(現:JCHO東京新宿メディカルセンター)でお世話になっていたんです。溝尾先生は、私より10年ぐらい前にシンガポールに行かれていて。私の最初の赴任先がシンガポールだったこともあって、いろいろお話をお伺いしたり、帰国後の総合診療医的な働き方も参考にさせていただいたりしています。お話しできるのを楽しみにしていました。よろしくお願いします。

溝尾 一緒に勤務していた時は、なかなか積極的な医師だなと思いながら見守っていました(笑)。

中島 隣の病棟でしたし、溝尾先生の部下に私の同期がいてよく遊んでいましたから、完全に私の様子はバレていましたよね(笑)。では、溝尾先生のご経歴と現在の仕事について教えていただけますか?

溝尾 千葉大学を卒業後、呼吸器内科医としていくつかの病院で勤務した後、1998年から3年間シンガポールで働いていました。経緯としては、千葉大学呼吸器内科の派遣先の一つにシンガポール日本人会診療所があり、自分から手を挙げたんです。

中島 なぜ希望されたんですか?

溝尾 今まで経験してないことをやりたいと思ったからです。医師というのはいろいろな経験をするべきで、そうしないと適切なアドバイスができないと常々考えていました。それまでにも専属産業医や僻地みたいなところでも診療していたんですが、まだ経験していないのは診療所の勤務と海外での勤務生活だなと考えまして。シンガポールに行くと両方満たせるからちょうどいいと思って行きました。

 その診療所の運営者は、海外で働く人たちのために経済界が支援して設立されたJOMF(海外邦人医療基金:2021年3月末解散)という日本の財団法人です。そこの院長として派遣されました。

集患を求められ、院長が始めたのは…

中島 院長職として、どのような仕事をされていたんですか? 日本との違いを感じるところはあったんでしょうか。

溝尾 日本で院長職をやったことがないので違いははっきりとはわかりませんが、院長ならではということでは経営的な部分と人間関係の部分がありましたね。

 経営に関しては、日本人会の事務長がトップとしてやってくれていましたが、毎月経営報告があるので私が医師としてアドバイスしたりアイデアを出したりしていました。

 集患ということでラジオ番組もやりましたよ。平日は毎日。月曜日から木曜日は私が書いた原稿を読んでもらって、金曜日は視聴者からの質問に私が直接答えるようにして2年間続けましたね。

中島 今でいうYouTuberみたいですね! 海外では勤務医に対しても集患を求められますが、院長職となるともっと大変なのではと思います。ラジオ番組を始めたきっかけは何だったんですか?

溝尾 ちょうど私がシンガポールへ行って2年目に日本語のラジオ放送がスタートして、そのタイミングで「ラジオで医療情報を話してくれないか」と依頼がありました。おそらく他の民間の医療機関で働く日本人医師らは断ったんだと思います。毎日の診療で大変なのに報酬ゼロだから(苦笑)。

 毎日毎日、病気に関する原稿を書いて。週1回質問に答えるのも大変でした。とんでもない質問が来るんですよ! 「熱帯に行くとハゲが進むって本当ですか?」とか。

中島 それはすごい(笑)。

溝尾 あと、マレーシアでニパウイルス感染症が発生した時は質問がたくさん来て大変でした。世界で初めての感染症でしたし、シンガポールでも何人か死者が出て、豚肉を食べると感染するとかいろんなデマが拡がっていました。

 当時は情報があんまり出ていなかったんですよ。今の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)では、毎日のように政府から方針や情報が提供されていますが、当時は、そういうものがほとんどなくて非常に困りながらもなんとか答えていました。

中島 溝尾先生は大変だったと思いますが、きっと、リスナーの邦人の皆さんは助けられたと思いますよ。ラジオの反響や手応えみたいなものを感じることはありましたか?

溝尾 帰国のため番組を降板したのですが、最終回を放送した時はすごく反響があったそうです。ラジオ局に「日本に帰らないで!」と視聴者からのメッセージが来たりして(笑)。シンガポールだけじゃなくて、マレーシアやインドネシアにもラジオ波が届いていて、思いの外リスナーの数が多かったんですね。

 診療所の宣伝にもしっかりつながっていたようで、毎年、売上が増え続けてずっと黒字でした。JOMFの方から「BMWの車を買ってもいいよ」って言われたぐらいです(笑)。それは遠慮しておきましたが、本当にとてもいい経験でしたね。

「話を聞いてもらえない…」
シンガポール人スタッフとの関係に苦戦!

中島 人間関係というお話がありましたが、溝尾先生はどのような役割をされていたんですか?

溝尾 スタッフ間の人間関係の問題を解決することですね。そのためには、スタッフと話をしないといけないんですが、スタッフはほとんどシンガポール人で、最初のうちは話を聞いてもらえなくて大変でした

 尊敬してもらえてないとダメというか、実績を示さないと話を聞いてくれないんです。英語もある程度話せないと全然相手にしてもらえないので、最初はそこに時間がかかりました。

中島 それはありますね。どこで働いていたのかは重要視されなくて、目の前で“臨床ができる”ということを示さないといけないんですよね。

溝尾 そうなんです。具体的にどうすればいいかというと、患者さんから尊敬されるようになる、患者さんからの評判が良くなることですね。もうホントそれだけ。患者さんから評価されると、スタッフからの評価も高くなります。

中島 人間関係の問題ということですが、例えばどんな問題があったんですか?

溝尾 そんなに複雑なものではなくて、「自分はこんなに仕事しているのに、あいつは何もしていない」とか、そういうシンプルなものです。「いや、こいつもこういう仕事しているんだよ」って説明して理解してもらえれば大丈夫でした。

 シンガポール人のマネージャーもいたので、もっと簡単なものはそこで対応してくれていたと思います。そこでも手に負えないものが私のところに来るんですが、それでも結構シンプルでしたね。

 診療所のスタッフは10人ぐらいで、医師が私で、看護師が2人、薬剤師、放射線技師、検査技師、あとは事務がいてという感じ。看護師の2人があまり仲良くなくて困りました(苦笑)。

中島 その看護師さんは日本人の方ですか?

溝尾 2人ともシンガポール人でしたね。

中島 あー、シンガポールの方って私も一緒に働いたことはありますけど、主張があるというか我が強いというか……。

溝尾 そうなんですよね。ただ、院長の私が考えていることを、それぞれに示してあげると納得する感じでした。職種に限らず偏らないようにする。まあ、そこは日本と同じですよね。

中島 私も同じようなことをしていますね。うちのクリニックにはいろんな人種の方が来院されますが、日本人ビジネスが50%くらい占めているので、日本人ビジネス用のスタッフがいるんです。私はそこの臨床部隊のリーダーをやっているんですが、溝尾先生と同じでスタッフの中で問題が発生したときに出て行って、ストレス発散の相手になっています(笑)。

まとめや次回予告

 海外での院長職ならではの仕事内容やその苦労について、事例を基に探っていきました。次回は、臨床の視点から、総合診療医として取り組まれてきたことを詳しくご紹介します。お楽しみに。