診断を付けられなかった海外医師が、まさかの一言

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その43

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。

今回からご登場いただくのは、ベトナムで企業の海外進出をサポートする「株式会社VIT Japan」の代表取締役である猪谷太栄氏です。

現地の事情通である猪谷さんに、なかなか表に出てこない(出せない)ベトナムのリアルな医療事情について語っていただきます!

リーマンショックもどこ吹く風?!
実は成長著しいベトナム

中島 今回は、ベトナムで10年以上、日本企業のベトナム進出をサポートするお仕事をされている猪谷さんにお声掛けさせていただきました。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の大規模なパンデミックが起こり、今後の医療と企業の関係や海外進出についてもいろいろ考えさせられることがあったと思います。ぜひ、その辺りをお聞きできればと思っています。よろしくお願いします。

猪谷 こちらこそよろしくお願いします。

中島 猪谷さんに初めて会ったのは2018年頃のホーチミンででしたが、猪谷さんは現地の有名人で、初めてお会いする前から「猪谷さんというベトナムの情報通がいる」という噂を耳にしていたくらいです(笑)。猪谷さんの経歴と会社についてご紹介いただけますか?

猪谷 日本でベンチャー企業を支援するコンサルティング会社で働いていて、海外進出もサポートしていたんですが、その中でベトナムとも縁が生まれました。2008年に始まったリーマンショックで海外向けのプロジェクトがほとんど止まる中、ベトナムは成長の勢いが止まらないのを見て、ビジネスをするならこういう伸びている国でしていくべきだと可能性を強く感じたんですよ。それで会社を辞めて、2010 年6 月にベトナムに来て起業しました。

 仕事内容は、ベトナムに進出した日本企業のサポートや、あと一部 CAD (Computer Aided Design:コンピュータ設計支援)などの設計関係の業務を日本企業から受託するオフショア的な仕事もしています。

 ベトナムに来て12年半。いろいろな経験もしてきているので、詳しいと言えば詳しいかもしれませんね(笑)。

風邪と診断されたはずが…
ベトナムの病院でトンデモ体験

中島 まずは猪谷さんが目の当たりにしてきたベトナムの医療事情についてうかがいたいんですが、私と出会う前に、肺炎になって大変な目に遭われたとか。

猪谷 ええ。ちょうど5年ぐらい前のことです。お客さんと食事をしていたら急に寒気がしてきて、風邪でもひいたかなと思ったんですが、ちょうど日本からの視察が多い時期で忙しくて、そのまま翌日以降も仕事を続けたんですね。

 でも、通常であれば数日すれば治るのに、熱がどんどん上がってきたので、なんとか仕事の合間に外資系の病院へ行ったんです。

中島 現地の方向けの病院ではなく、わざわざ外資系の医療機関を選ばれたんですね。

猪谷 そうです。外資系の方がちゃんと診てもらえると思ったんです。診断は予想通り風邪で、言われた薬を買って飲んだんですが全然治る気配がないんですよ。おかしいと思い、同じ病院にもう一度診察してもらいに行きました。今考えると、その判断がよくなかったんですが…(苦笑)

 二回目でもやっぱり風邪ということになり、念のためにレントゲンを撮ってもらったんですが、特に肺炎も何もないから大丈夫だ、みたいなことを言われて帰されました。そしたらその日の晩に、もう調子が悪いなんてレベルじゃなくなってきて。次の日の朝、本当に私のミスなんですが、また同じ病院に行ったんです。

中島 ああ…、でもそれは仕方がないですよね。

猪谷 その時もやっぱり風邪だと診断されたんですが、念のためと言われ、フランス人の専門の先生の問診も受けたんです。でも出た結論は…HIVだって言うんですよ! そんな覚えもないのに!! 問診だけで!!!

中島 それは驚きますね(苦笑)

猪谷 絶対ネガティブだからって散々主張したんですが、「そんなことは誰も保証はできないからHIVの検査を受けろ」と言われて、しぶしぶ受けたら案の定陰性だったんですよ。

 そうしたらそうしたで、自分たちの診断が外れたからか「もう帰っていいよ」と言われて、仕方ないから帰ろうとしたんですけど、階段も上がれないぐらいの状態になってしまって。

中島 それはヒドイ…(苦笑)

猪谷 もう一度状況を伝えたら、「自分たちではわからないから大きな病院へ検査に行ってください」と国立のホーチミン市医大附属病院に搬送されました。そこでレントゲンを撮られて、そしたらすぐにICUに入りましたね。

 診察した医師が付き添いの友人に、「すぐに家族を呼んでくれ。これは非常にヤバい」と言っていたのは覚えています。その後私は意識が飛び、3日か4日意識不明になって、次に目が覚めた時には体中に管が刺されてて「どうなってんだこれ」っていうところからスタートしました(苦笑)

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病院での真夜中の様子。消灯はなく、真夜中に看護師が騒ぐことも(画像は猪谷氏提供)

中島 いやあ……基本的にホーチミンにある外資系の外国人向けの病院は、ある程度のクオリティが保たれているはずなんですよ。はずなんだけど、現実には、医師のクオリティがかなりバラバラだったりすることがあるんですよね。クリニックの中で、医師のクオリティは必ず評価をしなければいけないんですが、うまくできていなかったんでしょうね。

 私が前職のインターナショナルSOSクリニックで一人前と認められる前に受けたトレーニングを例に出すと、最初に、当時設備や診療能力が最も備わっている北京のクリニックに放り込まれたんですよ。そこでは診察したら必ずフランス人の先生からフィードバックされたりとか、何の処方をしているのか電子カルテを見られたりとか、苦手分野があれば、みっちりマンツーマンで指導されたりとか、そういう経験をしました。OJTで小児科医や内科医、いろんな医師に面倒を見てもらいました。

猪谷 最初に行った外資系クリニックの方が設備とかは綺麗だったんですけどね。ホーチミン市医大附属病院は野戦病院みたいな感じでした。でもそっちの医師の方が経験豊富で、私の病気を見抜いてくれたんですよね。

 でも環境は本当にひどかったので2週間入院したあと日本に転院しました。日本に帰って治療を受けてわかりましたけど、全然違います

中島 前に聞いた話では、自分の寝ていたベッドに誰だかわからない人の血がついているとか、心臓マッサージをしている奥の方で、看護師がハッピーバースデーを歌ってケーキを食べているとか…(笑)

猪谷 そうそう、ひどい環境ですよね。ICUの病室でお誕生日会とか開かれてるんですけど、エマージェンシーコール押している人がいるのに無視かい!みたいな(苦笑)。ホーチミン市医大附属病で入院してる間に、私の横で二人亡くなっていますし、ここに居続けるのは無理だと思って。

中島 猪谷さんのこのお話には、ベトナムの医療状況のヤバさが全て集約されている感じでもありますね。

猪谷 今はその時の後遺症で、腎臓の機能が半分くらいになっています。人工透析一歩手前みたいなところから、なんとか、やや腎臓が弱めな人ぐらいのレベルまで戻ったというところです。

リスクの高い海外だからこその
日本人医師のニーズ

中島 猪谷さんは海外でキャリアを積まれているじゃないですか。今後、もしも透析などの継続的な治療が必要になった場合、海外でキャリアを継続できなくなる可能性もあって、健康ってすごく大事だとあらためて思わされますね。

 日本で暮らしているならば、日本の国から十分な社会保障や福祉制度などのセーフティネットが提供されているので、高度な治療を安全な環境のなかで受けながら働くことも可能かもしれませんが、私たちみたいな海外で働いている人間にはない。大きな健康トラブルがあったら、海外での仕事を引き払って日本に帰らないといけないとか全然ありえますよ。

猪谷 日本でもそうだと思いますが、たいていの人は健康だから医師との距離が遠い。日常的に医師にお世話になることがない中で、いかに医師と関係を素早く作れるかというのは、保険をかけるというか、そういう意味ですごく大事なことだと思わされました。

中島 海外で暮らす日本人が抱えやすい健康問題やリスクはずいぶん前から知られているので、海外で働く方向けに行う講演会などでは、早めに現地のかかりつけ医を見つけるよう話しています。とはいえ、こういった啓発には時間がかかりますし、日本人が英語で診療を受けられるぐらいに十分な言語能力を身につけるのはもっと時間がかかるでしょうから、まだしばらくは、海外在留邦人に対する日本人医師のニーズも絶えないのではないでしょうか。

まとめや次回予告

 猪谷氏の体験談を通じて、ベトナムの臨床現場における衝撃の医療事情を見ていきました。次回は、性感染症や麻薬中毒など、ベトナムで日本より多くみられる疾患について、臨床例を基に詳しくご紹介します。お楽しみに!