医師2人がシンガポール転職を決めた訳

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その4

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。

今回もインターナショナルSOSの葵医師との対談です。我々はたまたま同じ時期に同じ外国の会社であるInternational SOSに入社したのですが、入社の動機も入社の仕方も全く違います。

将来海外で医療者として働きたい方の、キャリア形成のご参考になれば嬉しいです!
ちなみに私が海外の病院に就職した経緯や、そこでのキャリア形成についての詳しいことは、こちらで記事にしてもらっています。給料交渉の仕方や、海外企業内での生存戦略などかなり生々しいことまで書いてあります。

以下本文

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渡航医学学会にて中島先生(右端)と葵先生(右から2番目)(画像:筆者提供)


 グローバル化が進む昨今、医師にとっても「海外」が身近な話題となっています。日本人の約100人に1人が海外で暮らす現代、先生方ご自身が国外で活躍したり、自分が診ている患者さんが外国に移住したりすることをサポートしなければならないことも十分あり得るのです。

 さらに新型コロナウイルス感染症が世界中で流行し、在留邦人に対する健康面・医療面のサポートのニーズが高まっています。いまや、医師という職業を続けていく上で、海外の事情に無関心では成り立たない部分があると言っても過言ではないでしょう。

 本連載では、ベトナムで総合診療医とヘルスケアビジネスのアドバイザーという二つの顔を持つ中島敏彦先生がご登場。先生と関わりのある医師、看護師、ビジネスマン――国際的に健康・医療分野で活躍する方々を招き、グローバル社会の中で医師に何が求められているか、探っていきます。

 今回で葵佳宏先生との対談は最終回。これまでは海外の事例から医師に求められるスキルを考えてきましたが、最後はお二人の海外でのキャリアをひも解いていきます。5カ国での勤務歴がある中島先生、シンガポールから日本に戻ってきた葵先生、それぞれどのような思いでキャリアを選択されたのでしょうか。

「一番飛べる場所は?」――海外での勤務先を決めた一言

中島 過去の記事でも触れましたが、私は海外で働きたい、外国で総合診療を学びたいとの思いから、まずシンガポールの日本人向けクリニックに転職しました。次に転職したインターナショナルSOS(以下、Intl.SOS)のような外資系の病院は、海外在住や海外勤務の経験が半年以上ないと就職試験すら受けられないので、はじめは日系クリニックで英語力や経験を得ようという算段がありました。

 葵先生はなぜ海外で働こうと思ったんですか?

 私は琉球大学医学部在学中から国際医療に興味があり、世界で活動するにはどうすればよいかと考えていました。短期間の海外災害派遣に参加する、外国のクリニックで勤務するなどいろいろと悩んだ結果、航空医療へのあこがれもあって救急の道を選びました。

 2011年から沖縄県でドクターヘリを経験しましたが、フライトドクターの経験を海外でも活かせると思い、Intl.SOSに転職したのです。今でも覚えていますが、就職試験で面接官に「一番フライトドクターとして飛べる場所はどこか?」と聞きました。そこで、アジアのハブであるシンガポールだと言われたので、シンガポール本社での就職を志望したんです。

 2年ほどシンガポールで勤務した後、異動希望を出して東京に転勤となりました。

コロナ禍で「海外に行くな」は簡単
――医師が本当に求められていることは

中島 改めて振り返ってみると、私たちは同じ会社で海外の医師としてキャリアを積みましたが、私は今も現地クリニックの臨床医、かたや葵先生は東京で医療のコーディネートを行っている。ここに、国際社会でどう活躍していきたいのか、考え方の違いがありそうですね。

 そうですね。私が東京に異動願を出したのは、日本人、日本企業により近いところでサポートしたいと思ったからなんです。

 シンガポールの本社でコーディネート業務とフライトドクターを2年間経験し、国際医療アシスタンスに関する全体像を把握できました。ではこの後、自分がこれまで培った経験やスキルをどのような形で発揮できるかと思案した時、日本に寄り添う形で還元したいと考えたんです。

中島 海外から日本に戻って、何か発見はありましたか?

 フライトドクターとして世界を飛び回る機会は少なくなりましたが、代わりに日本企業の産業医などと新たなネットワークを築くことができました。さらに、Intl.SOSのサービス導入のため日本企業と打ち合わせも行いますが、そこであらゆる業種の企業に関するニーズや困りごとなど生の声を聞くことができています。

 医師は本当に閉鎖的な社会で、異業種のことをあまり知りません。例えば、新型コロナウイルス感染症が流行しているから「海外に行くな」「リモートワークでやれ」と企業に言うのは簡単ですが、そうするとビジネスにならない業界があることは実感しづらいのではないでしょうか。

 IT企業であればリモートでもある程度成り立つかもしれませんが、建設業界はやはり現地に技術者を派遣しなければなりません。さらに熟練の技術者は、どうしても新型コロナウイルス感染症の重症化リスクが高いリスクグループの年代の方になります。

 ですので、私たち医師は「行くな」と綺麗事だけを言うのではなく、海外に出る必要があるならどのような対策を講じられるか、を考える必要があります。一つ一つの業界を知ることで、こうした業界事情、ひいては本質的な医療ニーズがつかめるのだと感じています。

中島 なるほど。つまり葵先生は、企業を介して「外」から日本人をサポートしたいという考えなんですね。

 私はその逆です。現地クリニックでキャリアをスタートさせたこともあり、「中」から日本人を支えたい、つまり自分も在留邦人の一員として、同じく在留邦人を支援したいと考え現地クリニックでの仕事を続けています。

 現地で生活し働いていると、その土地で友人や知り合いができます。すると気づいたのが、企業に属さない在留邦人、スナックやカラオケバーを運営している日本人のおじさんなんかもたくさんいるわけです。そういった方々と関わりをもつなかで、海外に住む日本人はどうやったら幸せになれるだろうと考えながら日々診療にあたっています。

 それから、われわれより下の世代の日本人は今よりさらに海外で働いたり生活したりする機会が増えると思います。そういった将来の在留邦人が、海外で少しでも居心地よく暮らせるために今何ができるかということを探しながら生きています。

 ご自身も在留邦人としてその土地で暮らしてきた、中島先生ならではの意見ですよね。

 私は今後、海外から日本に駐在する人ももっと増えていくと思っています。今はコロナ禍でそれどころではないですが、この混乱が落ち着いたら日本市場に人がまた入ってくるでしょう。今回の対談では日本人にフォーカスしてお話ししましたが、日本で働く外国人も同じスタンスでサポートします。海外企業の日本進出に関する医療ニーズも、どんどん探っていきたいですね。

中島 10年後、20年後は、今よりもっと海外、外国人が身近になっているでしょうね。そういったなかで、私たち医師に何ができるか、何が求められるか。引き続き考えていきたいと思います。

「患者さんを救う」ためのさまざまな道

中島 さて、3回にわたる葵先生との対談は今回が最終回です。最後に、葵先生から、キャリアに悩む医師に向けてメッセージをお願いします。

 私は、臨床とは異なる視点から患者さんを支えています。そのような医師の働き方は、ヨーロッパではごく当たり前の考え方です。しかし日本では、医師は病院で働くもの、臨床で活躍するものというのが一般的でしょう。もちろん間違いではありませんが、「患者さんを救う」という意味では、いろんな働き方があることを知っていただきたいですね。

 日本の臨床現場である程度活躍し、次のステップを模索している先生がいれば、私や中島先生のような道も検討していただければと思います。

中島 ありがとうございます。実は私、最終的にはまた日本で働きたいと思っているので、葵先生のお話はとても勉強になりました(笑)。

 え? 中島先生、ずっとベトナムにいてくださいよ! 今のwin-winの関係を続けたいです(笑)。

中島 あははは。今回はありがとうございました!

まとめ

 さて、次回からは、在留邦人を支援するNPO JAMSNETを立ち上げた、仲本光一先生との対談をご紹介します。テーマは、「医師が病院以外で在留邦人の健康を支えるには?」