日本人医学生が海外との“差”を痛感した瞬間

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その47

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。

今回からご登場いただくのは、現在水戸協同病院総合診療科に勤務されている米崎駿先生です。これまで世界各国を股に掛け、バックパッカーや病院実習をしてきた経験をお持ちの米崎先生と、海外で活躍するのに必要な素養やそのチャンスを得るためにはどのようなコンピテンシー(優れた成果を創出する個人の能力・行動特性)が必要なのかを探っていきます。

今回は海外との日本国内を比較したときに見えてくる、価値観や医学生の意識の違いについて語っていただきました。 

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ベトナムでの実習先の病院にて、米崎先生(左から2番目)(画像は米崎先生提供_以下同)

世界中を旅した医学生時代

中島 今回は米崎駿先生にお声掛けしました。実は、この連載に登場いただいた医師の中で最年少の31歳です。お若いですが海外経験が豊富で、海外経験を通じたキャリア形成に興味を持たれ、多彩な活動をしておられます。

米崎 よろしくお願いします。私はもともと海外が大好きで、どうやったら海外で働けるのかをずっと考えていたので、中島先生のことも記事を見ていて一方的に知っていました(笑)。

 私にとって海外が身近なのは、親が国際協力の仕事をしていたため、3歳から7歳の間ブラジルにいたからなんです。その後日本に戻ってきて、中学生の頃に国境なき医師団の活動を知って、国際協力を行いたいと考えて医学部に進みました。

 医学部に進んでみると、閉鎖的というか、国内の医学部の人としか関わらないというか、あんまり海外とつながる感じがなくて。それで、もうちょっと世界を見たいという思いが大きくなって、医学生時代は長期休みを使ってバックパッカーとして海外の国々をめぐりました。

 その後、ベトナムやガーナで実習などもさせていただいたりして、今は水戸協同病院で総合診療科の医師をしています。

中島 海外で働くためのルートはいろいろありますけど、米崎先生はかなりユニークな活動をされていらっしゃいますよね。ぜひ、詳しいところを教えていただきたいです。
 バックパッカーとしては何か国ぐらい行かれたんですか?

米崎 40か国以上行きました。全くの異国で新しい人たちと出会うのが楽しくて好きなんです(笑)。できるだけ広い世界を経験しておきたいと考えて、東南アジアやアフリカを回り、南米も行きましたし、医師になってからですが北朝鮮にも行きましたね。

身の危険はホントにない?
行ってわかった「北朝鮮」という国

中島 北朝鮮はすごいですね!

米崎 北朝鮮に行ったのは2018年です。日本と国交がないので直接行くことはできず、中国から行きました。一番感じたのは、ニュースでしか見たことがなかった画面越しの世界に、本当に行けるんだなってことでしたね。人類が月に行けるんだ!という感覚に近いかもしれません(笑)。

 行ってみると、市民がごく普通に集まってご飯を食べたりビールを飲んだりしていて。価値観は違うんだけど、住んでいる人は私たちと変わらない人間なんだなと改めて思いました。

中島 価値観の違いは、どんなところで感じたんですか?

米崎 なんていうか、世界の歴史を知らないのか、私たちが知っている認識と全く違うことがすりこまれているところですね。日本のことを完全な敵対国だと思っていたり。

中島 え、じゃあ、身の危険を覚えることもあったんじゃないですか?

米崎 望遠レンズを持ち込むとか、軍の施設の写真を撮るとか変なことをしなければ大丈夫です。でも、細かいことは指定されました。例えば、普通に「金正日」と言うと、「偉大なる総書記長金正日」と絶対言い直させられるとか、写真を撮る時に、必ず金正日の顔が真ん中じゃなきゃダメだとか言われました。ちょっとでも欠けると削除しろって言われるとか。

 ホテルでも盗聴されていて、北朝鮮の悪口を言うとそのまま帰ってこれないとか…。

中島 ひええ、やっぱりすごいですね!

米崎 北朝鮮は外貨を手に入れるために外交には力を入れているので、旅行者を受け入れてはくれます。でも行くと日本語が話せる北朝鮮人のガイドが絶対つくんです。まあ、ガイドというか監視というか…(苦笑)。ガイド兼監視が2人ついてドライバーが1人ついて、絶対どこに行くのも4人行動で、自由行動は一切ありませんでした。

 あと、「ホテルからは絶対に出るな」って言われました。「出たらそのまま拉致される」って…。

中島 身の危険ありまくりじゃないですか(苦笑)。

 でも、今後の政治の動向によっては、北朝鮮に外資系が入る可能性もありますし、そこで医師をやるというのもあながちないわけではないですよね。うちのクリニックでも、すぐにではないけど、そんなこともあるんじゃないかって話が出るときがありますよ。そうした際に、米崎先生のようなバイタリティや経験を持つ人材はとても貴重だと思います。

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北朝鮮にて観光ガイドと米崎先生(右)

ベトナムではツテが最強!
激レアな実習をコーディネート

米崎 中島先生が今いらっしゃるベトナムにも、バックパックと実習で2回行きました。最初は非常にとっつきにくい印象があったんですが、2回目の実習の時には、現地の人とも仲良く過ごせましたね。すごくフレンドリーな方ばかりで、実習中に仲良くなった方が日本に遊びに来てくれたりもしました。

中島 実習はどんな経緯でやることになったんですか?

米崎 私がいた筑波大学が、ベトナムのチョーライ病院への医師派遣事業をやっていたんです。当初の想定としては、派遣される医師に学生がついていくという形だったんですが、それだけだと面白くないなと思いまして……(笑)。

 ベトナムのホーチミン医科薬科大学と交渉して、そこの学生と一緒に複数の病院を回る病院実習をすることになったんです。結果、うちの大学から6人、ホーチミン医科薬科大学から6人メンバーを選出して、チョーライ病院やホーチミン市にある熱帯病専門病院を回りました。

 プログラムとしては、1週間滞在して、チョーライ病院では脳外科や救急を中心に2日間、熱帯病専門病院では熱帯感染症を2日間回って、その後学生との交流を2日という感じでしたね。

中島 その企画を実現させる行動力がすごいですね。普通、病院見学だけでも、よほど交渉しないと行けないですよ。

 ベトナムは社会主義国家なので、外国人に対する規制というのはそれなりにあります。最近は薄まってきていますが、現在でもホテルに泊まるとパスポートをフロントで預けさせられて、地元の公安に「こんな外国人がいますよ」って届けられるレベルです。

 その中で、国のトップクラスの病院に行けたというのは、相当うまくやる必要がありますよ。どんな交渉をしたんですか?

米崎 自分が直接知っていた筑波大学の先輩の先生が、チョーライ病院にすごく貢献している方で、ものすごく信頼されていたんです。その先生のツテを使わせてもらいました。それさえあれば、どこにでも連絡がとれてなんでもできる、みたいな(笑)。

中島 そこなんですよ! ベトナムだと、そのツテがあるかどうかっていうので、ほとんど決まってきてしまう部分があるんですよね。

米崎 自分でもよく来れたなって思います(笑)。

中島 実習中にベトナムと日本の違いを感じた部分はありましたか?

米崎 印象に残ったのは学生の意識の差ですね。二つあって、一つは、エリート意識というか、国を代表している意識がベトナムの学生は強い。例えば、どうして医学部に来たの?と質問すると、たぶん日本の学生は、「やってみたかったから」とか、「自分の夢だった」とか自分主体で話すと思うんですよ。

 でも彼らは、「ベトナムを良くしたいから」とか、「国をこう変えていきたい」とか、随所に自分たちが国を背負って立つんだという意識が見える発言をするんですよね。そこは本当にすごいなって尊敬しました。

 もう一つは貪欲さですね。どうやって英語を勉強したの?って訊いたら、「町中をうろうろして、外国人に片っ端から話しかけて学んだ」って言っていて。その貪欲さはすごいなって驚きました。

中島 確かにベトナムのトップ層というのは、えらく突き抜けた貪欲さがありますよ。

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ベトナムで、現地の医学生と実習を行う米崎先生

まとめや次回予告

 米崎先生の珍しい海外でのエピソードを通して、海外に興味関心を持たれた背景や、海外ならではの面白さをご紹介しました。

 次回は、アフリカでの実習や、アメリカへの留学など、国際協力と総合診療医を志した背景について語っていただきます。お楽しみに!