総合診療科に進んだ若手医師…米国やガーナでの原体験とは

グローバルに語ろう アジア医師と見る未来 その48

日本最大級の医療専門サイト であるm3.comのメンバーズメディア編集部様のご厚意で、ここに転載させていただけることになりました。将来海外で働くことを目指す医療者や、海外進出を考えているビジネスマン、そして医療系を目指す学生さんの参考になれば嬉しいです(マニアックすぎて需要がないか(´・ω・`)??)。

今回も若手総合診療医の米崎駿先生((この4月から長崎大学病院 感染症医療人育成センターに所属))とお話をさせていただきました。
日本で総合診療科が注目され始めたのは結構最近で、専門医の専門研修が始まったのも2018年からだそうです。
僕が若かったころはどこで勉強すればわからなかったので、雑に総合診療医の制度がしっかりしているシンガポールに飛びだしちゃったけど、日本国内での総合診療教育の仕組みがずいぶん変わってきたのを聞いて驚きました!

そろそろ海外での総合診療の勉強も飽きてきたんで、日本の総合診療も勉強してみたいなと思うものの、年齢が・・・、このまま海外で終わるのか(´・ω・`)?

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ガーナでの米崎先生(画像は米崎先生提供_以下同)

途上国支援の原体験とは

中島 前回、アフリカのガーナにも留学されたというお話がありましたが、これもかなりユニークな活動ですよね。どんなきっかけでガーナに行くことになったんですか?

米崎 NPO法人のアイセック(AISEC)という、カナダのモントリオールに本部がある海外インターンシップの運営を行う学生団体があるんですが、在学中そこに入っていたことがきっかけです。

 活動としては、海外からのインターン生の受け入れ調整や、逆に日本から海外に学生を送り出す支援をやっていて、私もインターンの一環でガーナに行きました。

中島 それは誰でも入れる団体なんですか?

米崎 日本に20ほどある、委員会のある大学に限られますが、大学生だったら誰でも入れます。学部も関係ないですが、国際系の学生が中心で、医学部は私しかいなかったです。

 医学系の国際団体もあったんですけど、その時は医学にこだわりたくなくて、あえて、医学とは直接関係ない活動を選択していました。

 なので、ガーナでのインターンシップは医学生向けのプログラムではなくて、メインが地域のアウトリーチ活動でした。例えば村に行ってHIVやマラリアの講習をしたり、幼稚園や小学校に出向いて「手を洗いましょう」といった公衆衛生の授業をしたり、町中で「ワクチンを打ちましょう」と啓発活動をするような内容でした。

 そういった活動を通して、私が当たり前の知識だと思っていたことは、ガーナという国では全然普通なことではないのを痛感しました。教育の大切さに気づかされましたね。

 ちなみに、病院実習的なこともやらせてもらいたいなと思って交渉したんですがなかなかうまくいきませんでした(苦笑)。約2カ月いましたが、オペ室や透析室には1回くらいしか入れなかったですし、外来診療などすらも見せてもらえませんでしたね。

 でも、ガーナでの経験は、途上国支援をしたいという強い気持ちを抱く原体験になりました。

中島 どういった経験が大きかったんですか?

米崎 私が訪れたのはアフリカの奥にある村で、電気や水、インターネットはぎりぎりつながっているぐらいで、他には何もないところだったんですが、人のつながりが強いというか、コミュニティの力が強くて、みんなが支え合いながら生きていました。

 私は、その村に来た初めてのアジア人で、当初は「なんで来たんだ?」っていう雰囲気だったんですが、それでもあたたかく迎えてもらいました。食べ物もどう食べていいかわからないとか謎なことがいっぱいあったんですが、一つひとつ教えてくれて。私が帰国してからも「日本のニュースを見たから」といったちょっとした理由ですぐに連絡をくれたんです。

 私も、人とのつながりを大事にしながら自分ができることをしたいと強く思って、途上国支援の気持ちを抱くようになりました。写真

エネルギッシュな医師、
その原動力はどこに?

中島 米崎先生は途上国支援としてカンボジアでも活動されていますよね。

米崎 カンボジアって内戦の影響で専門医が全然いなくて、若手医師ばかりなんです。教育制度も不足しており、2019年に日本の総合診療医がカンボジアに行ってレクチャーするプロジェクトが立ち上がったのでそれに参加しました。現地に行った後も、何回かオンラインで学生や研修医と繋いでレクチャーしましたね。

中島 教育活動も国際協力になりますね。

米崎 はい。その頃、ちょうどウェブで何かやるのが流行っていたので、総合診療の同期の先生とZoomを使った臨床推論の勉強会をやりました。かなり準備をして、150人くらい参加してくれました。

 その時は自分も医師になって3、4年目だったんですけど、若手の自分でも還元できることがあるんだなと思ってうれしかったですね

 日本の医学生や研修医に教える経験も、海外で教えることにつながると思うので、忙しくてなかなかできていませんが年に1回はやっています。

中島 すごいですね、なかなか真似できることじゃありませんよ。米崎先生の場合、活動の原動力はどこにあるんですか?

米崎 一番は海外への愛情ですね。熱というか、海外がすごく楽しいという思いもありますし、海外に出て逆に、日本はすごくいい国だなと思って、愛国心が出てきていることも原動力になっていると思います。

 海外は好きですが、日本を発展させながら海外の楽しさをシェアしていきたいという気持ちですね。先日は中島先生と“旅”を通じた新しい海外医療キャリアの可能性を考えるセミナーを実施しました。第2回以降も開催予定なので興味のある方にはぜひご参加いただけると嬉しいです。

アメリカで圧倒…
総合診療科が発展している病院の姿

中島 米崎先生が総合診療科の道に進んだのは、やはり、総合診療医としてのスキルがあった方が海外で活躍しやすいと思ったからですか?

米崎 そうですね。アメリカや他の国でも総合診療が一般的になっているので、チャンスが増えるかなと、学生の5、6年目には思っていました。

 あと、アメリカ留学中にオレゴン健康科学大学病院という、総合診療がかなり発展している病院を見たんですが、そこはもうお産まで総合診療科でやっていて。すべての疾患をまずは総合診療科で診て、何かあったときには専門診療科に相談する制度が確立されていて、圧倒されました。その経験が、総合診療を志す決め手になりましたね。

 それで、初期研修先に総合診療科、総合内科の教育が充実していた水戸協同病院を選びました。

中島 確かに、ヨーロッパやアメリカ、それにシンガポールなどの東南アジアは、最初に総合診療科で患者さんを診て、専門的な処置が必要なときだけ各科に割り振るシステムができています。日本はそういった体制ではないですよね。

米崎 それが、驚くことに水戸協同病院ではそのシステムでやっているんです。たぶん、そんなことをしている病院は日本ではほぼないと思いますが。

中島 え、そうなんですか? それは総合診療医がたくさんいるってことですか。

米崎 はい。例えば内科の研修医は全て総合診療所属ですし、勤務している内科医の半数近くは総合診療科所属です。

中島 それは全国から選りすぐりの総合診療医をやりたい人たちが、とにかく集まってくる、そういう病院ということですね。

米崎 医師になってからずっとこの環境で仕事ができたのは、本当に貴重な経験だなと思います。

 私の目標は、すべての病気症状に対して、常に高確率で対応できるようになることです。苦手分野がないように、どんな病気や疾患が来ても対応できるようにという思いでやっています。スタンダードなこともやりつつ、うちの病院だけでは学べない部分は外の病院に聞きに行ったり。あと今後は感染症の勉強もしていくつもりです。

中島 そうですね、総合診療のかなりの部分を感染症が占めていると思うので、サブスペシャリティにしてもいいんじゃないのかなと思いますよ。

まとめや次回予告

 米崎先生の原体験の一つは、意外にも医学生向けでないプログラムにありました。他学部のさまざまな価値観、経験を持つ人と活動したからこそできたことや感じたこともあったのかもしれません。

 次回でこの対談も最終回。海外経験を活かした医師のキャリアについて、米崎先生と中島先生にその可能性や展望を語っていただきます。